神絵師と仲良くなりたいけど、ヘボ絵描きの自分じゃ相手にされないよな……絵が上手い人と仲良くなるにはどうしたらいいんだろう?
という人向け【こればっかりは相性だから、絵でも絵以外でも自分の良いところや面白さをアピールできるようなポートフォリオを作って持っておくしかない気がする。】という記事。
何千とフォロワーがいる絵の上手い人、いわゆる「神絵師」って、フォローしているのはたいてい数十人とかそんなものだったりして交流も仲の良い人に限られていたりする。
「いいなあ、私もあの輝かしい輪に入りたいな……」と、いつもギリギリしてきたオタク人生だった。
だけどオタク歴も20年以上と長くなると「こんなに絵が上手い人が私なんかと仲良くしてくれるなんてどうして……!?」みたいなこともちょいちょい経験して、「ああ、人間関係ってそういうことなんだな」と気づいたことがあったので、そのことについて書きます。
※絵が上手くてフォロワーが多い人のことを指すのに、便宜上「神絵師」という言葉を使っています。
自分に対して興味を持ってもらわなければ始まらない
「手っ取り早く神絵師と仲良くなりたい。どうしたらいいんだろう?」と打算的に考えてしまうと、「とりあえず感想を送りまくって名前を覚えてもらおう。あわよくば相互リンクになってほしい……(個人サイト時代)」くらいしか以前の自分は思いつかなかった。
けど「仲良くなるために感想を送りまくる」って、必死になればなるほど報われなくて虚しくなったりする。「推しに認知されるために高額スパチャを投げまくる」みたいなもので。
第一、それだとただの「いつも感想を送ってくれる人」であって、ありがたいのはありがたいだろうけどそれ以上の興味というのは発生しない。「絵を描く人」と「感想を送る人」という人間関係で終わってしまう。
「こんなに感想を送っているんだから私に興味を持ってよ!」というのはなかなかに無理な話。
「仲良くしてよ! 友達になってよ!」というのはもっと無理な話。
自分に興味を持ってもらわなければ、人間関係というのは始まらない。
自分の良さや面白さを知ってもらうためのポートフォリオ
「自分に興味を持ってもらうって言われても、何もアピールできることない。絵も下手だし何の面白味もないし……」そこまで考えたところで、「あれ? 私は何も持っていないくせに、神絵師に興味を持ってもらいたい、仲良くなりたいって思っていたのか? ……無謀では????」と思い至った。
リアルの人間関係ならばまだ普段の行いを見てある程度の人となりは判断できるけど、顔も名前も知らない相手とつながるSNSでは情報ゼロの状態。
ちょっとリプで会話したくらいでは自分のことを知ってもらえないし、興味も持ってもらえない。仲良くなれるわけがない。
※ポートフォリオ:自分の能力や魅力を伝えるための作品集。
まずは自分の好きなことを楽しんだ
そこで自分の無茶なジタバタに気づいて冷静になり、我に返った。「(何も持たない自分が)どうにかして神絵師と仲良くなりたい!」と執着をしていたことが恥ずかしく思えてきて、熱が冷めた。
遠くの幻想が消えたことで自分の足元に目が行くようになったら、好きなことを純粋に楽しめるようになった。
ジャンルの盛り上がりに乗ったり、したごころなく上手い人の作品を見て楽しんで感想を送ったり。そして、自分の性癖だけを追い求める二次創作に没頭したり。
ああ、絵を描く喜びってこういうことだったよな……。とうれしく楽しくなっていくにつれ、自分のまわりの世界がやさしくなってきた。
※ここで言う「性癖」というのはセクシーな意味ではありません。
好きなことに打ち込んだ結果、自然にポートフォリオができていた
そんなこんなでTwitterやpixivに自己満足で積み上げた性癖の結晶が、いつのまにかポートフォリオとなっていた。
それを見て「おっ」と感じてくれる人もいるわけで、数は少なくても気の合うかたと仲良くなれたり、中にはいわゆる神絵師のかたもいたりして、冒頭の「何でこんなすごい人が私なんかにーー!?」みたいなことも起こり始めたのだった。
性癖というのは巧拙を超えて「同士」を惹きつけるのだと思う。
自分の性癖を提示しておくことによって、気の合う誰かとお近づきになれる。
「神絵師と仲良くなるためにどうにかこうにか画策する」ではなくて、「自分が自分の性癖を突き詰めて楽しんでいた結果としていわゆる神絵師と仲良くなれる(こともある)」だったのだ。
そう言われてみれば絵とかSNSとかに限らず人間関係全般そういうものだったよな……。
創作しない人にとってもSNSはポートフォリオとなり得る
「そんなこと言ったって私は絵を描けないし、性癖突き詰めて創作とかもできない。せっせと感想送るくらいしかできないよ……」という人もいるかもしれない。
(絵や創作は「できるかできないかではなく「やるかやらないか」だと思うので、「私は絵を描けない」「私は創作ができない」と断じてしまうのもおかしいことだとは思うのだけど。)
たとえ絵を描かなくても、SNSはポートフォリオになり得るよなあ、と自分は考えている。
もちろん、外国語が堪能だったり文章が上手かったり知識が豊富で考察が深かったりというのも素晴らしい魅力だと思う。
でも、もっと些細なことも自分の魅力になり得るように思う。
おいしいご飯屋さんの情報に詳しいこと、厳選RTが巧みなこと、飯テロ写真が上手いこと……もっと言えば飼っている動物がかわいいとか、今日これを食べておいしかったとか、雪が多い地域に暮らしているとか……誰しも生きてるだけで他の人と違う何かしらを持っている。
自分では全く大したことない、普通だ、普通以下だ、と思っているソレが誰にどう刺さるかなんて分からないわけで。
好きなことをしていると、気が合う人と仲良くなれたりする
むりやり赤い糸をつなげてたぐりよせるのではなく、好きなように赤い糸を四方八方に撒き散らかしていたら誰かとつながって楽しい。
SNSに限らず人間関係ってそれだけの話なんだ、と自分は感じている。
幸いSNSというのはタップ一つでその人のプロフィールを確認することができるし、固定ツイートやプロフィールも工夫できるし、簡単に自分の性癖や自分の良さや面白さを見てもらえる場になる。
「絶対にこの神絵師と仲良くなりたいんだ!!」「この絵描きの輪に入りたいんだ!!!」と執着をするのはつらかった。相手にしてもらえない自分に価値がないみたいでしんどかった。
でも、そういうふうに渇望してしまうことって誰でもあるように思う。
自分がいずれまたこういう熱病に冒されることがあったら、好きなことをやりまくってまたポートフォリオを充実させていこう。という、自分用のメモです。