いいねやフォロワーを増やすために"つながりたい系"のハッシュタグを使ってみたけど思うようにいいねもフォロワーも増えないし、絵描きに反応もしてもらえない、虚しいな……
という人向け【自分にはつながりたい系のハッシュタグはあまり向いていなかったので、他SNSで地道に見てもらうようにしたら却ってそれがよかった】という記事。
Twitterでは「#絵描きさんとつながりたい」などの"つながりたい系"ハッシュタグがある。
自分もSNSで積極的に絡んでいけないタイプなので、「もしも私の絵に興味があれば気軽にフォローしてくださいね」的なウェルカム感を出したくて使ってみたことがあるのだけど、あまり反応はないように感じたのですぐにやめてしまった。
「私の絵に興味がある人は気軽にフォローしてね」とアピールしているのに誰からも反応がないのでは、メンタルの調子が悪いときなどは「私の絵に誰も興味を持ってくれていないということか……」とネガティブな方向に考えてしまったりする。
いろいろと気力や労力を消耗する気がしたので、自分はやめてみたという話です。
ハッシュタグを使うことで気力を消耗してしまった理由
ハッシュタグでは上手い人とはつながれない気がする
一般的に言って絵がうまく、フォロワーも万近くいて、いわゆる神絵師の人が「#絵描きさんとつながりたい」というハッシュタグをつけていたとする。「私も絵描きだし、つながりたいな!」と思っていいねやリツイートで反応したけど、なんの音沙汰もなし……。フォローもしたけどフォロー返しがあるわけでもなし……。
これは「つながった」のか?
単にその神絵師さんをフォローしただけの話ではないのか?
「タグをきっかけに好みの絵描きさんを知れて、フォローできてよかったね」であって、それはそれでいいのだけど、別につながったわけではないよなあ……。
SNSで誰かをフォローする理由って、自分の場合は、「自分にないものを持っている人から、新しい刺激を受けたい」という感じ。それは自分にない表現ができる人だったり、自分より絵が上手い人だったりする。
でも、こちらから見て「絵が上手くて表現が魅力的で刺激があって興味を抱く相手」でも、あちらから見て自分が「興味を抱けない相手」だったら、フォローはしてもらえない。つながってはもらえない。自分の場合はたいてい片思いで終わってしまう。ハッシュタグをつけようが、それは変わらない。というかハッシュタグをつけることで毎回毎回「自分は神絵師から興味を抱いてもらえるほどの絵描きではない」ということを改めて思い知らされる。
それは「なにくそ!」と思うために必要な人もいるのかもしれないけど、"自分にとっては"要らないダメージだなと判断した。
あと「反応してくれた中で"気になる人だけ"お迎えに行きます〜!」みたいなパターンもよくあるけど、スルーされることで「あ、私の絵は下手だから興味ないってことですね……」と心のうちに逆巻くであろう波のことを考えると、自分はおっくうに感じてしまって乗っていけなかった。
事務的な作業に追われるのがめんどうに感じた
つながりたい系ハッシュタグを乱発してフォローや挨拶が追いつかず、「なにあの人、タグ使いまくって結局フォロー返ししないじゃん」「どうでもいいツイートする暇があるならフォロー返せよって感じなんだけど」と聞こえよがしに悪口を言われてへこみ、垢消ししてしまった……という事例をちょいちょい見たことがある。
なんとなくタグをつけて、なんとなくいいなと思う人だけのんびりフォロー返しして……みたいな使い方って、界隈によってはゆるしてもらえない空気がある。
一人一人に早急に、漏れのないよう、「タグへの反応ありがとうございました! こちらからもフォローさせていただきますね!」みたいに挨拶していかねばならないなんて、自分にはちょっとムリだと感じる。
フォロワーが増えてもいいねが増えるわけではない
人によっては「とにかくいいねを増やしたい」という人もいるのかもしれない。(自分は今はそういう考えではないので、分からない)
いいねを増やしたい→そのためにフォロワーを増やせばいい→ハッシュタグ使おう
みたいなのって、そんなにうまくいかないよなと思う。10人フォロワーが増えたらいいねも10増えるのかというと決してそうではないし。
自分は【ツイートアクティビティ】を見てみることで、インプレッションにおけるいいねの割合みたいなものを把握してみたことがある。
自分の場合、いいね率はたかだか1〜数%程度なので、それで行くとフォロワーが100人増えたっていいねが1個増えるかどうかくらいなもの。
もしいいねだけを目当てにとにかくフォロワーを増やしたいという場合、せっせとタグつけて、反応に一喜一憂して、タグに反応してくれた人に一人一人挨拶回りみたいなことをして、フォロワー増えたからと張り切って力作を描いて、それでも増えるいいねは数個ということになる。これは果たして割りに合うのか。ドッと疲れそう。
打算TLになってしまってSNS疲れを感じてしまった
「#絵描きさんとつながりたい」とか「#◯◯好きさんとつながりたい」みたいなハッシュタグって、狭い界隈やジャンル内で使うと全員にフォローを返さないといけなくなる。(いけなくないけど、そうせざるを得なくなりがち)
「あーこの人あんまり気が合わなそうなんだよな……でもフォロワーさんの相互さんだし無視するとギクシャクしそう……うーん、フォローしとくか……」とフォローして、実はすごくいい人で仲良くなれた! みたいなこともあるし、やっぱり合わなかったということもある。
これはお互い様だから、相手にとっても同じこと。つまりお互いに打算TLになってしまうのだけど、Twitter疲れの原因ってけっこうこのへんかもなと感じている。
絵を描くモチベーションも下がる
絵を描くモチベーションって、自分の場合、「これはあの人なら感じ取ってくれるかも?」「あの人こういうの絶対好きそう!」みたいな、お互い絵で伝え合う喜びによるものが大きい。
とりあえず数を増やすこと優先でフォロワーを増やしても、大してお互いに興味がないものどうしでつながっても、絵を描くモチベーションは上がらない。一人で壁打ちをしているのとあまり変わらない気がする。
今は他SNSから来てもらうことがほとんどです
ハッシュタグは自分には向いていなかったので使うのをやめた。ついでに鍵アカウントにした。(二次創作をしているので、ごく狭いところでこっそりやりたかった)
新しいフォロワーさんは、(もし増えるとしたら)他の創作系SNSから来てもらうことがほとんど。
pixivなどの創作系SNSには「絵をたくさん見たい」「このジャンルのこのカプを見たい」「イラストがpixivにまとめられるまで待てない。Twitterに上がったらすぐ見たい」「好きな絵描きさんのイラストにいいねとRTをしたい」などと、ハッキリと目的を持ったユーザーが多い。
最初からハッキリと興味を抱いて「この人の絵を見たいから」という理由でフォローしてくれるし、自分も「この人の絵を見たいから」という目的があってフォローする。(ゆえに相互フォローになることもあるし、ならないこともあるのだけど、それでいい)
「数を増やしたい」「あわよくばフォロー返ししてほしい」などの下心もないので気持ちがラクで、それがなにより、いちばんよいと感じた。
「一人でも見てくれたら嬉しい」という気持ち
今までの自分のお絵描き人生を省みても、「見たい!」という人が一人でもいることで「見てくれてうれしい! もっと見てほしい!」とモチベーションが上がり、パワーの循環が生まれてきた。
大して興味のない何百人にいてもらうよりも、一人でも熱心に見てくれる人がいるほうがパワーが強かったように自分は思うし、満ち足りていたような気もする。
数字でしか指針のないSNSではついまわりと数で比べてしまい、そこらへんを忘れがちになってしまっていた。それがSNS疲れの原因でもあり、絵を描くモチベーションが上がらない原因でもあったように思う。
「一人でも見てくれたらそれで嬉しい」っていうの、なんだかきれいごとのように感じてしまっていたのだけど、一周まわってやっぱりそこに帰ってきた。
でも、ハッシュタグをつけてモヤモヤしたり嫉妬したり焦ったり右往左往してみなければ気づけなかったと思うので、それはそれでよかった。
それを経たことで今、「一人でも見てくれたら嬉しい」の感覚を大切にできるようになったので。