「絵で表現したいことなんて無いし…」←そんなに難しく考えなくていい

絵を描くのは自己表現っていうけど、なんだか難しそうだなあ。私はそこまで考えてないし、別に絵で表現したいことなんてないんだよな……

と悩んでいる人向け【自己表現というと深そうに感じるけど、テーマというのはもっと簡単で些細なことでよくて、その積み重ねが自分独自の表現になっていくのではないか。】という記事。

絵の教材や講座を利用していると「その絵で何を表現したいのかをハッキリさせてうんぬん」みたいなことを問われることがある。表現とかテーマとか言われるとよく分からんし、「表現したいもの」がなきゃ絵を描いてはいかんのかよ、と気持ちがぐらついたりすることが自分はたまにあった。

「自己表現」みたいなぼんやりしたおさまりのいい言葉でまとめるとろくなことはないので、「表現する」ってどういうことなのかを自分なりに具体的にしてみた記事。

些細な「好き」を何度もこすっていくのが【表現】になり得る

まず、「表現」とか「テーマ」というのは「この絵を通じて何を伝えたいのか!」「自分は何者なのか!」みたいなそんな大それたことではない。

もっと簡単で些細なものを拾い上げて伝えるのが、絵を描く喜びなのだと自分は考えている。

ここらへんが伝わっていないのは、絵を教える側の語彙の少なさ、それこそ表現力の足りなさのせいだと思う。(自分も絵を教えるがわに立ったことがあるので、これは強く感じる)

簡単で些細な「好き」を見つけて、描きたくて、こだわる

絵を描くのって、簡単で些細な「好き」を見つけて、こだわっていくところから始まる気がしている。

ヒラタクワガタとミヤマクワガタのツノの違いを描きたいとか、素材によって質感の変わるパンツのシワを描きたいとか、メガネっ子の、レンズの度による輪郭の歪みを描きたいとか。

「自分の好みや性癖を、どうにか描き表したい(分かる人に伝わればなおうれしい)」

絵を描く上での【表現】って、シンプルな、そういうものなのではないか。

簡単で些細な「好き」を何度もこする

最近は「こする」という言い方もされるけど、自分の「サビ」というのってある。

何度でも描きたいし何度でも読みたいこと、それを嬉々として何度もこすっていけばいいのではないか、それがつまり【表現】になるのではないか。

「大男と少女の組み合わせがツボすぎて、いろんなペアを描きたい」

「このCPのすれ違い両片思いが大好物だから、二人のためにあらゆるすれ違いを用意しよう」

「メガネ男子が好き、中でも分厚いレンズで輪郭が歪むのを描くのが好き、さらにスクエアフレームが特に好きなんだ、なぜならば……」

絵を描いている人ならば、表現だなんだと改めて考えなくてもいつも自然にやっているようなこと。

簡単で些細な「好き」が集まって、自分の方向性となってゆく

絵を描いている人って、おのずと、

「もっと自分の性癖をより正確に描き表したい(そのためにもっと技術を上げたい)」

「より伝わりやすく描きたい(そのためにもっと描けるもののバリエーションを広げたい)」

みたいに心を砕いていると思うのだけど、それがゆっくりと個性になっていき、画風になり、絵柄になり、方向性になってゆく。

ただ、それがゆっくりすぎて自分では自覚できず、「自分の表現とは……?」と焦ることもあるのかもしれない。

20年かけて【表現】になった自分の絵の話

自分は似顔絵を描く絵描きなのだけど、最初から似顔絵を描こうと思っていたわけではない。

中学の頃、話し終わったあとで口角がキュッと下がるクセのあるおじいちゃん先生がいた。

どうしても絵で描きとめてみたくなって、ノートのはしっこに似顔絵を描いた。なんてことない、ヘタクソな絵だった。

それを「変な絵! でもなんか似てる」と笑って気に入ってくれたクラスメイトがいて、そのときに「もっと笑ってもらいたい」という指針が決まった気がする。

それが高じて、仕事として似顔絵を描いていたこともあった。

こんな感じの絵柄です

小さな「好き」が、20年越しに【表現】となったのだ。

仕事として描かせてもらう際も「見た人が思わず笑っちゃうような、その場の空気がゆるむ似顔絵」という自分の指針はずっと変わっていない。

些細な「私はこれが好き」を嬉々として何度もこすることが、年月をかけてその人の【表現】や【テーマ】になるのではないか。

自分の場合は、そうだった。

小さな「好き」を見つけるところから始まりそう

【自己表現】と抽象的な言葉でカッコつけようとしてしまったら、自分は絵なんか描けなくなってしまう。

ただでさえ「上手く描かなきゃ」「ちゃんと描かなきゃ」と手が止まりがちなのに、そこに「自己表現しなきゃ」なんて荷が重すぎる。

些細な「好き」や「描きたい」を見つけること(自分の場合は中学のときの先生の口角)が、自分の表現やテーマのひとかけらだったりするのかもしれない。

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