「誰かに私の絵を認められたい」だからやってみたこと4つとその効果

「誰かに自分の絵を認めてほしい! でも自分の絵を認めてもらうって、どうすればいいんだろう……?」

と悩んでいる人向け【自分の絵を認めてもらうってどういうことなのか。私が自分の絵を認めてもらうために今までやってみたこと4つ】についての記事。

「自分の絵に自信が持てないから、誰か認めてくれないかなあ……そうしたら私もきっと自分の絵に自信が持てるのに」

みたいなことを私はずっと悩んでいて、Twitterでもよくグチグチ言っていた。

でも今思うとそれって「私ってブスだしデブだし頭も悪いし自信もないけど、誰かかっこいい人が私を好きになってくれたら自信が持てるかも」と似たような考え方だよなと思うんです。

いつか白馬に乗った王子様が自分の全てを肯定してくれて、そしたら人生は180度かわるはずなのに……みたいな。(王子様とか言ってるけど性別関係ないです)

こんな感じで性根の腐り果てた自分だったわけだけど、ちょっとしたきっかけの積み重ねででちょっとずつ考え方が変わった。

「誰かに私の絵を認められたい」だからやってみたこと4つとその効果

これらは私がやってみたことだけど、どれも全然前向きな気持ちだったわけじゃない。

半分強制的に、あるいはズバッと言われたりしてシブシブ、あるいは追い込まれてやらざるを得なかった、みたいなことばっかり。

だけどそれなりに「今思えばちょっとずつ効果があった」と感じている。

「誰かに認められたい」に特効薬はない。

もし効き目のいい薬があるとすれば、どうなったら「他人から認められた」ということになるのか、と冷静に自分の気持ちを考えてみることだと思う。

1万いいねがつけば「他人から認めてもらえた」ことになるのか?

憧れの絵描きに褒めてもらったら「他人から認めてもらえた」ことになるのか?

たぶん違うと思うのです。

私の場合はたぶん、「自分が絵を描くことで誰かの役に立った」と感じられたときに初めて「認められた」と思えた気がする。私の場合です。

添削サービスを受けた

私はプライドの塊のような人間なんだけど意外と添削サービスは利用していて、他人からのアドバイスを意外と素直に受け止めている。(今こうして書いていても「意外だな」と思っている)

古くは通信講座の添削から、最近ではオンライン講座の添削キャンペーンなど。自分は以前はラノベも書いていたので小説の添削も受けたことがある。

あくまでも【添削】であって、別に誰かが認めてくれるサービスではないんだけど、

「他人(専門家)の目が確かに真剣に自分の絵を見て、思った・感じ取った何かをフィードバックしてくれる」

というのは、驚くほど満たされた。

地に足がついたような感覚になる。

(言われたこと自体はあんまり覚えてない)

「認めてほしい」って言葉をつい使ってしまっていたけど、それは「世間に自分の能力を知ってほしい」とか大それたものではなく、8割くらいは「目に留めて、存在を知覚してほしい」という程度の、けなげな気持ちだったんじゃないか?

しかし「私を見てほしい」なんて幼児じゃあるまいし、プライドの高い自分にとってはあまりにみじめなので「認められたい(キリッ」とカッコつけてただけなんじゃないか。

自分の言葉に騙されて、自分の本当の気持ちが隠されちゃうの、口が達者な人や理屈っぽい人ほど起こりがち。(私です)

自分の「認めてほしい」というのは具体的にどういうことなんだと。幼児に聞くようなつもりでいまいちどご確認ください。

最近だと(これは自分は未経験だけど)、「あなたの絵を褒めます!」みたいなサービスもある。

コンテストに出していた

これは学生時代の話だけど、自分は美術部だったからコンテストやコンクールにはひんぱんに出品していた。美大受験のためにあーだこーだしていたので半分強制的に出さざるを得なかった。

これも今思うと、「賞をとったから世間に認められた気がした」のかというとそうでもない。舐めた子どもだったのもあって「別にこんな賞もらっても大したことないし。」って感じだった。

それよりも大事なのは「描いた絵を人にちゃんと見せて、真剣に見てもらって、何かしらの評価をもらう」ということだったように思う。

添削サービスのときに感じた「誰かが確かに私の絵を見てくれている」という実感が、たぶん救いになっていた。

絵を描くものとして、絵を描く世界に参加できている気分というか。

お金をもらって絵を描いた

社会人になりTwitterで絵を描くようになってから、「私は誰にも認められてない」という感覚をこじらせるようになった。

学生時代みたいにコンテストに出品することもなく、添削サービスも「別に大したこと言ってくれるわけじゃないしな」とやめて、Twitterでも「どうせ見てくれる人は素人しかいないしなー」とそんなに熱心に描いていたわけでもなかった。

今思うとそれが原因だ。

「そうやって舐めた態度で、絵を人目にさらさなくなったからこじらせたんだろうが!」という話。

「認められたい」「報われたい」みたいにグチグチ言ってなんにもしない私に対して知人が「じゃあもっと絵を描いて売り込んだりすれば?」と言ってくれたことがあった。

それに対して私は「いや、私がしたいのはそういう浅ましいことじゃなくて〜(笑)、好きな絵を描いてそれが誰かの目に留まって今までの努力が報われたいんですよ(笑)」みたいなことを言った。冗談じゃなく真剣に。

よく知人はそこで私をぶっ飛ばさなかったなと思うんだけど、「うん、じゃあこれこれこういう感じの絵とデザインを何点か描いて見せてください」と言ってきた。

言う通りのものを作って渡したら「OK、では料金を振り込みます。これからよろしくお願いします」ということでパッケージデザインの仕事をすることになった。

よく分からないと思うけど、私もいまだによく分からない。その運びがなんとも巧妙で、乗りかけた船は陸をスッと離れて降りられなくなったわけだけど、この「仕事として絵を描く」という経験はとてつもなくありがたかった。

そもそも認められるってどういうことか。どうなったら「認められた」ことになるのか。

人のお世辞もいいねの数も何も信じられない……みたいになったときはお金ですよお金

こう言うと反発を感じる人も多いと思う。

けど、コメントで褒められても「どうせお世辞でしょ」。

いいねがいっぱいついても「人気キャラを描いたからでしょ。私が認められたわけじゃない」。

ってそこまでこじらせてしまったなら、もう、見える形で証拠をもらうしかない。

絵が上手くならなくたって、いいねが大してつかなくたって、「自分はこの会社で役に立ってお金をもらっている」。これが「認められた」でなくてなんなんだ?

(と、自分は感じたということです。)

でも全ては"長く描き続けていた"からこそ

全ては「長く描き続けてきたからこそ」とも言える。

高校生のとき美大受験から逃げてそこで絵をやめてしまえば「認めてもらえなかった」と感じたまま終わっていた。

SNSでいいねがつかないからってやめてしまえばそれまでだったし、知人のオファーを蹴ったらそれまでだった。

グチグチ言いつつもすがるようにしつこく続けていたから、最終的に「誰かに認めてもらうってこういうことか……!」と感じることができたわけです。

外に向けて行動を起こさないと、人からは認められない

知人も言ってくれたけど「人に見せなければ人からは認められない」。

何を言ってんだってくらい当たり前のことだけど、「認めてほしい」と言うわりに外に向けて働きかける勇気はない、ってことも多い。

「SNSで好きな絵を描いて、いつかなんかすごい人が見つけて認めてくれないかな」というのは、確率はゼロではないけど、来来来世くらいまで繰り返したら一回くらいはあるかもしれないけど……って感じじゃないか?

今世で、なるべく体が健康に動くうちに認めてもらいたいと思うのであれば、コンクールに出すなりコンペに挑戦するなり、何かしらの方法でお金をもらって絵を描いてみるなり、外に向かって行動を起こした方が早い。と、20年近くを無駄にした自分は思っている。

SNSで絵を描くのがムダなわけではなく、粛々と描いて粛々と待つのは別に悪いことじゃないけど、「誰かに認めてほしい」ということなら時間がかかるし、本当の自分の望みも見失う。

「認められたい」とかぼんやり思うだけではなく、現実の世界であれやこれや行動を起こすほうが心が健全に保たれると思います。

「誰かに絵を認められたい!」そのために試してみたこと
  • どうなったら「認められた」と思えるのか、まずは考えてみる
  • 現実的な行動をする(添削を受ける、コンテストに出す、仕事で描いてみる、など)
  • しつこく続けていく
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