「Twitterやpixivなどで評価を気にしすぎてしまって、絵を描くのがつらい」
「なんで私は評価依存症になっちゃったのか、原因を知りたい。克服するにはどうしたらいいのかな…」
と悩んでいる人向け【絵の評価依存症になってしまう原因を分析してみたらほぼ解決した】という記事。(私の場合の話です)
Twitterで、絵の【評価依存症】というのが話題になったことがある。
依存症と言っても医学的な病気ではなく「自分の絵の良し悪しを、人の評価に委ねて一喜一憂してしまってつらい……」という悩みについて、分かりやすく言い表したもの。
かく言う自分も長らく、人からの評価や反応が気になって気になってしんどくてつらかった。個人サイト時代からのオタクなんで10年くらいは悩んだかもしれない。
いろいろ悩んで考えて行動してみた結果、今ではほぼ悩まなくなったので、私のやった方法について書いていこうと思う。
具体的にはこんな感じ。
- なぜ自分はこんなに評価に依存してしまうのか? 原因はあるか? と考えてみた
- 【他人軸】から【自分軸】にする方法を具体的に考えてみた
- まず社会人としてしっかり暮らすことを意識してみた
3つ目のは特に謎かもしれませんが興味があれば読み進めてみてください。
人それぞれ違うので、「ふーん、まあそういうこともあるかもね」程度にとらえてください。
「なぜ自分はこんなに評価に依存してしまうのか? 原因はあるか?」
まずは、どうして自分がこんなに他人の評価に依存してしまうのか、という原因を探ってみた。
同じように絵を描いていても依存しない人もいるんだから、自分に何か理由なり原因があるはずだ。
大人から褒められる"良い子"だった
少し前にはやったアドラー心理学では、【賞罰教育】を否定している。
賞罰教育というのは、
いいことをしたら褒めて、悪いことをしたら罰を与える
というもの。
これを、アドラーは否定している。
「いいことをしたら褒めるのは当たり前なのでは? 何でダメなの?」と思うけど、
- "褒められるため"にいいことをするようになってしまう、つまり他人の評価に依存してしまう
- 自分の意思で行動できないので、自分が本当は何をしたいのか分からなくなってしまう
- 他人に評価してもらえないと、自分の価値を感じられなくなってしまう
まさにこれ、よくある【評価依存症】の感じじゃないだろうか。
自分もこれ心当たりがある。
"良い子"だったのでまわりの大人たちからかなりたくさん褒められて育ってきたんだけど、高校生くらいになってくると、どうしていいか分からなくなってしまった。
今まで行動基準が「大人が褒めてくれることをしとけばいいや」だったのに、褒めてくれる人がいなくなってしまったから。
自分の本当にやりたいことも分からず、自分の価値も信じられなくなった。
たまたま私は絵を描いていたので、絵で他人からの評価をもらうことに固執するようになってしまった……という感じだと思う。
とりあえず気づくだけでよし
じゃあどうしたら治せるのか!? とか悩む必要は特になく、自分の場合は"とりあえず気づくだけでよし"だった。
「そっか、他人に褒められることが自分の行動基準になってしまってたのか。確かにそうかも。なるほどね〜」
と、気づくだけでよかった。
「いいねがつかない! ウワー! 私には価値がない!」と思いそうになったとき「あ、それ誤解なんだった。悩まなくていいやつだった」と我にかえることができる。
心理のワナというか、人の子のサガというか、ただのよくあるまちがい、思い込み。
なんなら手帳などにメモしておき、「ウワー!」となったときにサッと見る。
それを繰り返すうちに、いちいち動揺するのも面倒になり、次第に気にならなくなっていった。
【他人軸】から【自分軸】にする具体的な方法を考えてみた
今まで自分がいわゆる【他人軸】だったから、他人からの評価に一喜一憂していたんだな。
と気づいたことでだいぶスッキリした。
次に、
これからは他人に振り回されず自分の意思でやっていきたい。やっていこう。そのいわゆる【自分軸】にするってどうすればいいのか? 具体的に何をすればいいのか?
ということを考えてみた。
具体的に、というのがけっこう難しい。意識高い系に「自分軸で生きよう!(キラキラ)」とか言われても具体的に何をすりゃいいんだ、ってなる。
もっと理屈で教えてくれよ!
最終的に自分はどうなりたいのか決める
マズローの【自己実現理論】というのを中学か高校の保健体育で習ったと思うけど(今でも習うのかな?)、こういうの。
人の欲求には段階があって、その中の一つとして【④承認欲求】があって、最終的には「自分はこうなりたい」という【⑤自己実現】の欲求を目指して生きていく。
なので「最終的に自分はどうなりたいのか」という目標地点を決めることが、承認欲求でぐらつく気持ちの支えになる。つまり中心というか、柱というか、そういうもの、いわゆる【自分軸】になる。
「最終的に自分はどうなりたいのか」。
たとえば「いいね」がたくさんついてもフォロワーが増えても、それは最終目的ではないだろう。「いいねを1万もらうのが人生の目標です!」なんて人はいないと思う。
最終的に自分は、絵を描くことでどうなっていきたいのか、何をしたいのか。
これは人それぞれ、無限のパターンがある。
「ゲームのキャラデザインをする」「アニメーターになる」「メカをリアルに描けるようになる」「動きのある戦闘シーンを描けるようになる」「納得いくデザインで同人誌を作る」……。
私の場合は「似顔絵を名刺やアイコンに使ってもらったときに、名刺交換の場がゆるむような絵を描く」。
一見「そんなこと?」に見えるかもしれないけど、昔の自分が言われてうれしかった言葉を思い出したり、自分の本当に望むものをよーく考えたりしていたら、「ああそうか、私はずっとこれをやりたかったんだ」としっくりきた。
すると、絵に対する気持ちがとても楽になった。
Twitterですっごく上手い絵やすっごく似てる似顔絵が高評価を得ていても、「わー、すごい絵だ! まあ私の目標とは関係ないんだけど」と距離を置くことができるから。
素直に「すごい」と感じて良いところを真似したいと思えるようになったし、苦しい嫉妬も焦りも感じない。人と自分を比べることもなくなった。
これがつまり、いわゆる【自分軸】なんだと思う。
確かにこれは気持ちがいいわ。安心して満ち足りた感じがする。
※正直「自分がどうなりたいか」をはっきりさせるのがいちばん難しく、時間もかかった。頭を整理するために私がやってみたのは【ブレインダンプ】というの。
目的に向かって行動を起こしてもいいし起こさなくてもいい
【自分軸】がはっきりした時点で、私のつらさや苦しさはほぼ消えた。
「自分は本当はこんなふうに絵を描きたかったんだな」としっくりきた時点で「めでたしめでたし 〜完〜」でいいくらい、気持ちが楽になった。
マズローも、【④承認欲求】までは欠乏欲求で【⑤自己実現欲求】は存在欲求だと言っている。
承認欲求までは満たさないと欠乏感でしんどいのでみんながんばってなんとかしようとするけど、それ以上は「より自分らしく生きる」おまけみたいなもの。だから自己実現欲求までがんばる人は少ない、ということ。
だけどせっかくなら、ちょっとだけ目的に向かって行動を起こしてみるか、ということで私はこのブログを始めた。上手い下手じゃなく、みんなが「ふふっ」となるような似顔絵の面白さを伝えてみたいな、と思った。
他にもデッサン会に行くとかデザインの講座を受けるとかコンテストに出してみるとか、目的に合わせてどんな行動をするか無限のパターンがある。
気持ちさえ楽になったなら、行動してもしなくても別にいい。だいたいの人はしませんよ、と心理学者が言っているくらいなんだから。
でも、タイミングが合えばやってみてもいい。行動してみることで新たな展開が起こったりして、もしかしたら新たに問題も起こったりして、自分の中で「目指すもの」がより深まるかもしれない。(と思ってやってます)
社会人としてしっかり暮らしてみた
謎の3つ目は、「社会人としてしっかり暮らしてみた」。
さっきも例に挙げたマズローのピラミッドだけど、自分の場合【③社会的欲求・愛の欲求】と【④承認欲求】というのがごっちゃになってしまってたんじゃないかと思うのだ。
【③社会的欲求・愛の欲求】、つまり自分の仕事をしてきちんとお金を稼ぎ、納税し、社会人としての役割を果たす。さらに信頼できる家族なり友人なりと情動的な人間関係を結ぶ。
この③ができていないと、当然④もガタガタになる。
私の場合、当時はイヤイヤ仕事をしており、ろくに社会人として責任も役割も果たさず、友人もおらず、とにかく③の段階でガタガタで、さらにその上から承認欲求がのしかかって圧死寸前、な状態だった。
これはまず③をなんとかせにゃならん。
とりあえず10分早く職場に行って掃除をしてみた。笑顔で挨拶をしてみた。「できる営業マンの10の習慣」みたいな本を読んだりしてみた。これ、けっこうよかったです。
単純なもんで、「普通レベルの社会人みたいなことはできるようになってるぞ!」みたいな気持ちになって元気が出た。
「芸術をやる人は社会不適合者でもいいんだ、しょうがない」みたいな風潮……があるかどうかは分からないけど、私はけっこうそういう考えに甘えているところがあったんだと思う。
その後、知人の斡旋でデザインの仕事をし"絵を描いてお金をもらう"という経験をしてみたことで、【③社会的欲求】と【④承認欲求】が同時に満たされた。
プラスアルファでフリーランスとしてビジネス・お金についてのあれこれを身につけられたのも自信になった、という経緯もありました。
もし「【③社会的欲求】も満たされてないわ……」と感じる私のようなケースだったら、社会人としての自分を変えてみるのもなにか効果があるかもしれません。