「自分の絵柄が決まらない・定まらない」という悩みについて考えてみた

二次創作でジャンルを変わったりするので、自分の絵柄が定まらない

好きなジャンル、好きな作家さんなど、好きな絵柄がありすぎて自分がどの絵柄でいくか決まらない

なぜか描くたびに絵柄が違ってしまい「絵柄変えた?」と言われてしまう。自分の絵柄を確立したいのに……

と絵柄で悩んでいる人向け、絵柄が定まらない悩みをパターンごとに分けて解決法を考えてみた記事。

「絵柄が定まらない」という悩みをパターン分けしてみるとこんな感じだと思う。

  1. 好きな作品や好きな作家が多く、ジャンルを変わるごとにあっちこっちで影響されてしまう
  2. 描きたい絵柄と得意な画風が違うのでどっちで行くか迷っている
  3. 絵柄を変えているつもりはないのに、なぜか描くたびに違ってしまう

それぞれについて解決法を考えてみた。

ジャンルを変わると絵柄が変わってしまい、自分の絵柄が決まらない

二次創作やファンアートを描く人の場合、ジャンルを移動すると絵柄も変わってしまい、自分の絵柄が分からなくなるということがある。

絵が上手い人はどのジャンルに行っても根底に自分の絵柄があって、別ジャンルで見かけても「あっ、あの人の絵だ!」と分かるし、原作絵とその人の絵柄が絶妙にマッチしてすごくいい、うらやましい……みたいに思った経験が自分にもある。

まだ描いている絶対量が少ないから「真ん中」が決まっていないだけ

こういった悩みは自分がまだ絵を描くという経験が浅いとき(同人歴10年未満の頃)に多かったので、描いている絶対量が少ないために起こっているのではないかと推測している。

なぜ、描いている絶対量が少ないと絵柄が決まらないのか。

大ベテランのミュージシャンである細野晴臣が、こんなことを言っている。

中庸っていうのね。これは、お釈迦さまの言った一番大事な教えなんだけれども、それは、あっちにもいかずこっちにもいかず真ん中を歩くということじゃなくって、あっちとこっち、その両方を行かないと真ん中にならないよ、という教えなの。

細野晴臣『分福茶釜』平凡社ライブラリー(2015年)

細野晴臣もロック、カントリー、テクノなど幅広い音楽ジャンルを手がけ、その結果として「これぞ細野晴臣」という音楽性を確立している。

あっちこっちにブレまくり、「振れ幅」を作ることで、初めて「真ん中」が決まっていく、それが「中庸」なのだという。

自分にしっくりくる「真ん中」を決めるには、固定していては決まらない、ということになる。

「あっちこっちに絵柄がブレている……こんなんじゃダメなのでは?」みたいに思えても、それは「真ん中」つまり【自分の絵柄】を見つけている最中の、必要な工程だと言えるのではないか。

とことんブレてみたのちに自分の絵柄が決まっていくのでは

細野晴臣だってたぶん、「僕はロックで行くべきかテクノで行くべきか、悩むー! 音楽性が決まらないよー!」なんて悩んでなかったと思う。(そんなテンションではないと思うけど。)

「ロック湧く! カントリー新しい! あれもこれも楽しいからやろう!」と(そんなテンションではないと思うけど)大きな振り幅でやっているうちに細野晴臣になったんだと思う。

いっそとことん端から端までブレまくるいきおいで、あらゆるジャンル、好きな絵描き以外の絵柄にも興味を持ってみたり真似してみたりすると、幅の厚い【自分の絵柄】ができていくのかもしれない。

これは自分のまわりを見ていて思うことだけど、絵が上手い人ってけっこう好きなものの幅が広い気がする。少年マンガと少女マンガ両方好きだったり、私のような素人は「その絵柄のどこがいいんだろう……?」と感じてしまうような、一般受けしにくい絵柄の作品にもハマったりなど。

「じゃあ何年くらい絵を描き続ければ自分の絵柄が決まるの?」それは人それぞれとしか言えないし単純な年月では決められない。早く早くと焦るのではなくてその「いつか」を楽しみにしていけるといいよね……。

描きたい絵柄と描ける絵柄が違ってしまい、自分の絵柄が決まらない

理想は一応あるけど努力はしたくない、がんばるのが楽しくない

「ゆるかわ系のふわっとしたイラストしか描けないのに、最近スタイリッシュな絵柄に憧れてしまって自分の絵柄が決まらない。本当はああいうスタイリッシュな絵柄を描きたいけど、自分には描けないしな……」

みたいな感じで「描きたい絵柄と描ける絵柄が違って絵を描くのが楽しくない」というパターン。

「描きたい絵柄に近づく努力をすればいいんだろうけど、それはしたくない」

「自分の描ける絵柄で描いてても楽しくないし、理想の絵柄に近づく努力も楽しくない」

こうして文章にしてみると分かるけど、それってそもそも絵を描くこと自体をそこまで好きじゃないのかもしれない。それとも、今ちょっと絵を描く熱量が減ってるのかもしれない。

だったら、いったんやめてみることもできる。

絵を描くことを無理に続けているなら、いったんやめてみる

自分もそうだったんだけど「小さい頃から唯一続いていることだからなんとなく続けている」くらいの感覚で絵を描いていたので、自分の理想の絵柄に向かって努力するまでの熱量は持てず、似たような感じでくすぶっていたことがある。

そこで自分の胸に聞いてみて思い当たったのが、

「絵を描くことの他に趣味や特技がないから、絵をやめるわけにはいかない。絵を描くのをやめると私には取り柄が何もなくなっちゃうしな……」みたいな焦り・不安を抱いて、惰性でむりやり続けているだけなのでは?

ということだった。

心理学には【一貫性の原理】というものがある。「一度始めたことは続けなきゃ」という心理のことだ。

人は自身の行動、発言、態度、信念などに対して一貫したものとしたいという心理が働く。この心理を「一貫性の原理」と呼ぶ。

Wikipedia-一貫性の原理

「やめるのがもったいない」「長続きしないなんてダメな人間だ」「見てくれてる人もいるし……」という理由でなんとなく続けているけど、本当はたいして好きじゃない、だから努力もしたくない、苦痛だ、だけどやめるわけにはいかない……。つらい、しんどい……。

人は、そういうふうに考えて自分で自分の行動を縛ってしまうものらしいです。

だから「へー、人間にはやめられない心理があるんだなあ。あほくさ。じゃあやめてみよう」くらいに考えていいと思う。

実際自分も、気が済むまで絵を描くのをやめてみたことがある。美大受験を経験したのちに普通の大学へ進学し、反動で4年間スポーツと旅行と演劇サークルと音楽サークルと座禅サークルをやって、絵を描くことをまったく忘れて「せいせいした! 絵なんかもう一生描かなくていいわ!」と、楽しく楽しく過ごした。

でもその後同人も再開したりデザイン関係の仕事をしたりと、結局絵を描くところへ戻ってきた。

「なんとしても続けるべき! やめちゃダメだ!」みたいにがんばらなくても、軽い気持ちで休んで、またやりたくなったら軽い気持ちで戻ると楽しいと思います。

「たとえ絵を描かなくなったって、あなたから何もなくなったりしないよ」ということも言いたい。

同じように描いてるつもりが、描くたびに顔が変わっちゃう

「絵柄を変えてるつもりはないのに、描くたびに顔が変わっちゃう」

「絵柄変えた? ってまわりから言われちゃう」

というパターン。

これは自分の経験上、単に「まだ画力が低くて仕上がりが安定しない」ということが考えられる。

自分の経験と、どうやって直していったかについてこちらの記事に書いてみました。

絵柄を決めることにこだわらなくても、自分らしさは固まっていく

「絵柄は一つに決めたい」「早く『これは誰々さんの絵!』と思われるように絵柄を確立しなきゃ!」なんて言うけど、確立しようとしてするもんでもないのでは。と私は今は感じている。

たくさん長年描き続けていれば、何を描いても自分らしさは出てしまう。隠したくても出てしまう。ロックでもカントリーでも細野晴臣らしさが隠せないように。名義を伏せて曲調を変えて映画音楽を手がけたりしても、すぐに「あの映画の劇伴、細野晴臣では?」みたいに気づかれてしまうだろう。

自分らしさが固まったら固まったで今度はそれが面白くなくて、そこから脱却したくてさらに新しい「振り幅」を加え、自分を変化させていきたくなったりする。

そういうのはたぶん数年やそこらで出てくるものではなく、しかもぼやっと長くやっていればいいというものでもなく、熱心さとか新しいものを吸収する姿勢とか、それには「好き」がないと難しいし、いろいろな要素が必要になってくる。

若輩者の自分は焦らずに楽しくブレまくっていればいいんだと思う。そのほうがきっと楽しいし。

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