絵を描くには筋肉や人体の構造を覚えておかなきゃいけないんでしょ? 記憶力がよくないと無理なんじゃない?
美術解剖学って難しいし、記憶力もないから覚えられる気がしない……
と悩んでいる人向け、【絵を描くのに使っている記憶力について考えてみたら、瞬発的な記憶のほうが大切なのでは?】と思った話。
絵を描くときに使っている「記憶力」ってどんなの?
「絵を描くって人体の構造とか全部記憶しておかないと描けないんでしょ? すごい記憶力だね」とか「骨や筋肉の名前とか覚えれば絵を描けるようになるの?」みたいに言われたことがある。
自分も絵を描くけれど一般常識程度にしか骨や筋肉の名称は覚えていないし、名前を覚えたからって絵が描けるわけでもないと思う。
繰り返し描いているうちに定着するし、忘れたら何度でも資料を見ればいい
じゃあどうやって描くのかというと、繰り返し描くうちになんとなく、どの筋肉によってどう皮膚が盛り上がってるのかとか、どの関節がどう曲がってどんなふうに骨が浮き出て見えるかみたいなことを意識できるようになってきて、記憶がおぼろげな部分はそのつど写真なりSDモデルなりを見て、必要であれば骨格や筋肉を書籍などで確認しながら描いている感じかな……となった。
それを繰り返すうちに、記憶力を駆使して覚えようとか思い出そうとかがんばらなくても自然に知識が定着していくのではないか。忘れたら何度でも資料を見ればいいのだし……。
なぜか「絵は何も見ないで描くべき、何か参考にするのはズル」みたいな風潮があるけどそれは間違いで、全部自分の記憶でまかなおうとするほうが遠回りにもなるし間違いにもなると思う。(自分の経験上)
記憶力を使っているとすれば「瞬発的な記憶力」かも
じゃあどこでどんな記憶力を使っているのかと思い出してみると、何か資料を参考にするときに、パッと見てなるべく多くの情報を得て、それを紙に描き写す段階で記憶力を使っているような気がする。
描き写したらすぐ消えてしまうような瞬発的な記憶で、形をとらえるときに使うごく一瞬の集中力。
自分が絵を描くときに使う「記憶力」はそういった種類のものだと思う。
「じゃあなんで美術解剖学をやらなきゃいけないの? 見て描けばいいなら必要ないのでは?」
「じゃあなんで美術解剖学をやらなきゃいけないの? 見て描けばいいなら皮膚の内側まで覚える必要ないのでは? 結局絵描きの自己満足じゃん」みたいに言われたこともある。
私個人の感覚としては、人体の筋肉や骨格を把握した上で描くのと、何も把握していない状態で描くのではやはり違ってくるように思う。
「模写してたら首のところにいつもなんかスジがあるけどなんなんだろう? まあいいや見たまま描いとけ」と思って適当にシャッと描くこともできるのだけど、「このスジは胸鎖乳突筋っていう筋肉で、耳の後ろから鎖骨と胸骨につながっている」みたいなことを知った上で描くと、より正しい位置に、より正しい大きさで、より正しい見え方で描くことができるのではないか。見る人に与える説得力も違ってくるだろう。
繰り返して描くうちに自分の長期記憶に定着して、胸鎖乳突筋というものをわざわざ一生懸命思い出さずとも自然に当たり前に描けるようになってゆく。「記憶」ではなく「知識」になっていくというか。
瞬発的な記憶はいくらでも鍛えられそう
瞬発的な記憶力は、絵を描くときかなり役立つ気がしている。
大量の水をスプーンでちまちま移し替えていると嫌になっちゃうけど、大きなバケツでパッと移せるようになると効率がいい、みたいな感じで。当然、効率がいいほうが数をこなせて上達も早い。
瞬発的な記憶力ってたぶん生まれつきとかではないので、クロッキーなどでいくらでも鍛えられそう。
「うわー出たよクロッキー……嫌いなんだよなー!」という人も多いと思う。自分も苦手意識が強かった。でも瞬発的な記憶力試しゲームくらいの感じで、空き時間にパッとやってパッと消す刹那的なトレーニングにするとそこまで苦にならないかも、という記事を以前に書きました。
記憶力に頼ると却って作画崩壊を招くのかも
「筋肉の形も動きも全部完璧に覚えた! 何も見ずに描ける!」みたいになってしまうと、却って作画崩壊を招きやすいように思う。なぜなら、人間の記憶なんてあやふやだから。
「全部覚えているから何も見ずに描ける」というのは「手癖で描く」と紙一重なのではないか。
手癖で描いているうちにバランスや配置がくずれ始め、それでも「私は完璧に筋肉の位置や形を覚えているから見なくても描ける」というおごりのもと、くずれに気付けず、まわりの人もなんとなく言い出せず、作画崩壊絵を量産して数年後に見返してびっくりして恥ずかしくなって全消し……なんてそんなホラー展開、やらないに越したことはない。(私には何度もあります)
絵を描くには瞬発的な記憶のほうが役立ちやすく、どちらかと言うと記憶力より観察力のほうが大切なんじゃないか、と感じている。