絵を描くのに疲れちゃってつらい……少し休んでインプットの時間に充てたいな。でも画力が落ちちゃうのが怖くて絵の練習を休めない……
と追い込まれている人向け【絵の練習を休んでも画力が落ちるわけではなく①感覚が鈍っている②休んだことでアラが見えるようになった、などの理由で画力が落ちた気がするだけでは?】という記事。
長年絵を描いていると、そりゃあたまには絵の練習に疲れる時期もある。
「疲れたな…‥休みたいな……でも休んだら絵が下手になっちゃうのでは? スポーツだって1日サボると取り戻すのに数日かかるって言うし!」みたいに強迫観念にさいなまれて休めない、さらに心身共に疲れてしまう……。
でも休んでも実際に画力が落ちるわけではなく、「画力が落ちた気がするだけ」なのでは?
ということについて、自分の経験をもとに書いている記事。(※個人の感覚です。)
休んでも画力が落ちるのではなく「落ちた気がする」だけだった
自分は一応美大受験を経験して(本当に一応レベルなのでおこがましいのだけど)、絵を描くことに疲れ果て、とことん嫌気が差し、苦悩の末に普通の大学に入って4年間まったく絵を描かずに暮らした。もう一生絵は描かなくていいやという感じだった。
しかしそのあとケロッと同人活動に戻ったし仕事として絵を描く時期もあったりで、結局は絵を描かずにはいられない人生となっている。
絵を描いている年数"だけ"は長いのでちょいちょいブランクもあるのだけど、そのたびに感じたのは、
- 感覚を取り戻すまでラグが発生する
- 休んだことで自分の絵のアラが見えるようになる
- 付け焼き刃の部分は、剥がれる
- 絵柄が変化したことで画力が落ちたような気がする
ということ。
絵を描くのって自転車に乗ることとか歌を歌うこととかに似ていて、身体で感覚をつかんでしまって忘れようとしても忘れられない、下手になろうとしても難しいタイプの「運動」の一つだと感じている。
今まで歌を歌ってきた人がいったん歌うのをやめたからと言って音痴になったりはしないし、小中高と自転車に乗ってた人が大学生になって電車通学になっても自転車に乗れなくなるわけじゃない。そこまでやってきた分だけ、必ず体と頭が覚えてしまっている。
感覚を取り戻すまでラグがあるけど、すぐ取り戻せる
ただ、絵を描くのを数年休んで再開した場合、すぐその瞬間から数年前と同じ感覚で描けるわけではない。
体に感覚を取り戻させるまでには、自分は少しラグがあることが多かった。脳と手をつないでいた回線がいったん切れている感じで、それをつなぎなおすのに数分かかる。人によっては数日かかるかもしれない。
ここで焦ったり不安になってしまったりして、絵を描くのが怖くなってしまう。
それこそが、よろしくないんだと思う。
久しぶりに体重計に乗るのが相当こわいアレに似ている気がする。
自分は万年ダイエッターのため、「絶対増えてるから体重計乗らんとこ」と数日サボるともう二度と体重計に乗りたくなくなる。体重計に乗らないことで不安が増加して精神的に追い詰められて運動をさらにサボったりやけ食いしたりして、そうこうしているうちに本当に体重が増えてしまって「あーもうダイエットやーめた。どうせ私はダメ人間ですよ……」。
さっと体重計に乗って現状を把握すればすぐ取り戻せたことなのに。
絵を描くのも「ちょっと感覚が鈍ってるな」と思いながらでも手さえ動かせば数分で戻る。
筋トレだって、「少し休んだだけで筋肉が落ちて取り戻すのには時間がかかる」というのは誤りで、実際は【マッスルメモリー】という筋肉の記憶によって短期間で筋肉量を戻せるのだそうだ。
音楽家の方も、「復帰した際には勘を取り戻すことを意識する」ことに重きを置いている。
だいたいのことは取り戻せるし、だいたいのことは「むなしくすべてが無に帰す」なんてことはないのですね。
休んだことで自分のアラが見えるようになり、再出発できる
あとは、休んで時間を置いたことで脳の錯覚がリセットされ、「あの頃は自分が上手く描けていると思っていたけど、今描いてみるとアラが見えまくる」ということもあった。
休んでいる期間に上手い作品をいろいろとインプットしていたりすると、よけいに今描いている自分の絵のアラが見えるようになったりもした。
これは画力が落ちたわけではなくて、幻覚が解けて自分の真の姿が見えるようになっただけのことで、むしろ喜ばしいのではないか。
「三歩進んで二歩下がる」だと「わー、また戻ってやり直しか〜!」といやになるけど、そもそも三歩歩いてなかっただけの話。
付け焼き刃の部分は時間をおくと剥がれるので、改めて身につける
これが「絵の練習をサボると下手になる」のいちばんの要因な気がしているのだけど、付け焼き刃の部分は時間をおくと剥がれてしまう。
指の感じとか肩から首の関節とか、なんとかごまかしごまかし描いていたようなものは時間をおくと描けなくなったりした。
受験勉強で丸暗記して受験だけ乗り切ったようなことって、時間が経つと忘れてしまうのと同じで。
「身についてなかったんだな。じゃあちゃんとやってみるか」という気持ちになったりするので、これもこれで結果的には良かった。
(きわめて楽観的に言うならば)絵柄のブレは成長の前兆だととらえる
プロの漫画家とかだと、絵柄や作風が変わったことで「劣化」扱いされているケースをたまに見かけたりする。
プロでなくても、休んだりインプットしたりすることによって自分の絵柄がブレたりして「あれ? 私下手になったかな? 描けなくなったのかな?」と感じることってあると思う。
それは「絵柄の振り子が触れているだけ」だと自分は考えるようにしている。
疲れているのは「絵の練習」かそれとも「SNS」か
「絵の練習に疲れてしまって……」という人のお悩みを深く掘り下げてみると、疲れているのは「絵を描くこと」に対してではなく「SNSでの人間関係」に対してだったり「SNSで評価されないこと」に対してだったりすることがある。
自分の場合も、「絵を描くこと」に疲れたというよりは「受験のプレッシャー」や「合格するための練習」に疲れていた。
「絵を描くこと」にではなくSNSでの評価に疲れたのなら、絵をやめたところでよけい苦しいかもしれない。SNSに対する考え方や距離感を変えなければ、このしんどさは解決しない。
自分の痛みの芯を突き止めてみることのほうが先なのかもしれないな……と思う。