「いいねの数を気にしちゃうのやめたい…」②承認欲求を和らげる方法

「イラストにいいねがつかなくて気にしちゃう」

「"いいねの数は気にせず楽しく描こう!"なんて言われても無理だよ。このしんどい承認欲求を何とかしたい…」

という人向け、【いいねの数を気にしてしまう理由と、必要以上に悩まないためにしんどい承認欲求をなんとかする解決法】について書いている。(大幅にリライトしました。2021.6.29)

イラストをSNSにアップしてもいいねがつかない。「自分では上手く描けたと思ったのに、評価してもらえないのかな」と、悲しくなったり気にしすぎてしまう。

というのは、絵を描く人なら多かれ少なかれみんな経験していると思う。

他人の評価は気になって当然で、しかたない。

自分の場合はSNSの使い方を変えることである程度は気にならなくなった。ということをこの記事に書いた。

複数アカウント・ツイートアクティビティはいいぞ、という記事

「それでも全然無理だった、承認欲求はおさまらなかった」という人向けに、この記事では絵以外の要素について書いている。

この3つ。

  • ほめられたい欲は別で満足させるようにした
  • 「ほめられるために描く」をやめてみた
  • 他人との比較をやめるために修行した

【ほめられたい欲】は別で満足させるようにした

まず「ほめられたい」「認められたい」というのは成長段階で人間が当たり前に感じる健全な欲求なので、そこを消すことはできない。

でもギリギリしちゃって歯茎から血が出るくらいほめられたいし認められたい! 限界でもうヤバいんだよ! みたいな場合それはちょっと度を越してしまっているし、何かが健全ではなくなっている。たぶん絵とか関係なく、生きる上での自己肯定感的なものが落ちすぎている。

じゃあほめられよう。認められよう。絵じゃなくて他のことで。

と考えてみた。

人間が満足感を得るのは、「自分が社会の役に立っている」と感じたときらしい。

私にはうっすら「自分は絵を描く人間だから他のことはおろそかにしていてもしょうがない」みたいな考えがあって、自分は社会不適合者でいいんだ、絵しか取り柄がない、むしろそれがかっこいい、と思っていた。

これが自分の尊厳を削っていた気がしたので、改善した。

と言っても、

  • 自分なりに仕事をきちんとこなす(10分早く職場に行って身の回りの掃除をするとか)
  • 家のことをなるべくていねいにやる(お皿を洗うとき節水してみるとか)
  • 交通ルールを守る(今までも守ってましたけど、よりていねいに運転するとか)
  • 困っている人に手を貸す(上3つをやっていたら、自然にこういう気持ちになってきた)

くらいのこと。普通の人は普通にやっているだろうことをやってみた。

全部、今すぐできる。

今まで自尊心が低すぎたせいなのか、「私はこの社会でまっとうに生きていけてる!」という気持ちになれた。

まっとうに生きているとまわりが認めてくれたり、「ありがとう」と言われたりして、人並みレベルの【ほめられたい欲】が満たされてくる。

「それがどう絵に関係あるの!」と思うかもしれないけど、

絵以外のことでまずは自尊心を底上げしておいて、渇望状態を和らげておく。

そうすると、絵でほめられたいという欲求は和らぐ。ちょっとのことでも満足できるようになる。

食べすぎないようにまずは汁物から食べるのと同じシステム。

私の場合はこの作戦で、絵に「いいね」をもらうことにそれほど執着しなくなってきて、歯茎から血が出るほど苦しまなくなった。

正直これがいちばん効果あった気がするので、いちばん最初に書きました。

逆に、「なんとしてでも絵で認められたい!」というハングリー精神を大事にしたい場合は社会不適合状態を維持し、絵でしか承認されない状態をつくるといいのかもしれない。けど精神がズタボロになるので個人的にはおすすめしません。

ほめられる・認められるために描くのをやめてみた

これは絵に関係ある手段です。

無意識のうちに「ほめられるために描く」をやってしまっていた

小さい頃からほめられて育ってくると「ほめられるためにやる」がクセになってしまい、それがよくない。ということをアドラー心理学では言っている。

「ほめられるため」にやっていると、自分が本当はどうしたいのか分からなくなるから。

ほめられないと不安を抱き「私には価値がないのでは?」と感じてしまうから。

確かにこれはよろしくない。

自分も以前は「このジャンルではこういう雰囲気のが主流だよな」「絵柄はこういう感じがウケるみたいだから私もそうしよう」みたいな感じで、無意識でまわりに合わせていた。無意識なのがこわい。

当然ながら、そんなn番煎じで様子見の作品になんかたいしていいねはつかず、「みんなが望むようにしているのに、どうして?」「みじめ……」「私の絵には価値がないんだ……」。

これじゃ楽しいわけがない。しかも今こうして書いてみると、押し付けがましい。

「ほめられるために描く」→「自分が描きたいから描く」

だから、クセになってしまっている「ほめられるために描く」を意識してやめてみた。

私の場合は二次創作のマンガだったけど、「自分が思いついたことを好きなようにそのまま描く」というのをやった。

  • まわりに合わせた作風はやめて自分の絵柄に戻した。
  • 思い浮かんだネタを、作品やキャラをおとしめるようなものでなければ、素直にそのまま描いた。

最初は勇気が必要だったけど、「どうせ誰も見てないんだからいいや」というヤケが後押ししてくれたのもよかった。

そして「描こうと思ったことが自分なりに描けた!」という満足感を、一人でじっくり噛み締める。

この「一人でじっくり噛み締める」というのがポイントだったと思う。

Twitterとかで「描きたいように描けたから満足! だからいいねがつかなくても気にしない! これでいいんだ!」とかまわりや自分に言い聞かせるみたいなツイートをするんじゃなくて、自分一人できちんと黙って自己満足してみた。

自分の大切な満足に、他者を一切絡めないようにした。

不思議なもので、自分がしっかり満足しているといいねも増えてきたりするし「あなたのマンガ好きなんです」と言ってもらえたりする。

そりゃあ、まわりに合わせたn番煎じよりも、その人の性癖が丸見えなもののほうが面白いに決まっている。

実は他人というのは「私の作品」を見て喜んでくれるのではなく、「私の自己満足」を見て喜んでくれる。おそろしいほどに、この世はやさしいのだ。

理屈は説明できない。というかこういうのは理屈じゃないんだと思う。

他人との比較をやめるために修行した

「いいね」の数がうんぬんって、結局のところ他の人と比べちゃってつらいんだと思う。

自分の絵に3つしかいいねがつかなくてもまわり全員3つだったらなんとも思わないわけで。

要するに「他人と比べて少ないから不満、みじめ」。

じゃあ他人と比べるのをやめればいい。

と言ったところで、人と比べてしまうのって仏教でも「五毒」のひとつとされるほど人間の根源的な煩悩で、もうしょうがない。

てっぺん取ろうが大金持ちになろうが、人はさらに上を見て比べて悩む。

自分だけじゃなく人間全般が人生をかけて悩む問題だから、もうこれ人類みんなせいぜい悩んでまいりましょうってレベルのものだ。

ただ、そのしんどさの度合いは人によってまちまちで、これは本人の考え方や心がけ次第で減らせるということになる。

「他人と比べて悩む」という問題を仏教ではどうしてるのか

仏教の話が出たついでに、仏教ではどうやって克服しているのかというと「嫉妬という苦しみは誰にもあるものだ」と知り、受け止めた上で、「修行」をしている。

自分は仏教に詳しいわけではないけど、「修行」というのは「今に没頭すること」だと思う。座禅、滝行、読経、掃除、山ごもり……。

つまり、未来のことを思い悩んだり過去のことを後悔せず、今目の前にあることをやるということ。

実際私もお寺に行って座禅や写経をしてみたけど、「確かに頭が空っぽになってスッキリするな」という感覚があった。

今目の前のことに集中する

絵を描く我々ならば、「この絵、いいねがつくかな」とか「また反応薄かったらどうしよう」とか未来や過去のことを考えずに目の前の線を描くことに集中する、というのも修行になるのかもしれない。

自分の場合、何か悩み始めたら座禅や写経をしたときのあの感覚を思い出すようにしている。

もし「また反応薄かったらどうしよう」みたいな不安が起こったときは「あ、また未来への不安を感じているな。そうじゃない、今、今」と意識する。

これは絵以外でもやっているけど、無駄に悩むことがなくなってパフォーマンスも上がった。だって今やってることが上の空になったんじゃ意味ないもんね。

SNSをやめてみる

あとは「緊急避難的な対策としてSNSから離れるといいよ」みたいなこともよく言われる。

実際にSNSをやめると幸せを感じやすくなる、というデータもきちんとあるらしい。

私も半年Twitterをやめてみたことがあったけど、確かに快適だった。

「妬みのもとを見えないように隠した」というよりは「自分の気持ちと向き合う時間を増やした」という感じ。

SNSからは膨大な情報やら人の想念やらが流れ込んでくるせいか、今までは落ち着いて自分の気持ちや考えを整理せず、上へ上へと積み上げてごちゃごちゃになっていた。

リアルでそんなあくせくしたことは十分やってるんだから、SNSでまであくせくしなくていい。

すべて自分の心の中で解決できる

こう考えてみると、全部答えは自分の中にあって自分次第なのかもしれない。

ということは、いいねが増えなくても他人からほめられなくても、自分一人の心のうちでじゅうぶんに解決できるということだ。

いいねを気にしないためにやってみたこと
  • 【ほめられたい欲】は絵以外で満たしてみた
  • 「ほめられるために描く」を意識してやめてみた
  • 目の前の線を描くことのみに集中してみた(修行)
  • 一時期SNSをやめてみた
タイトルとURLをコピーしました