私は何のために絵を描いているんだろう? ネット上に上手い人はたくさんいるし、私が描かなくても別にいいよね……私が絵を描く意味ってなんだろう?
と悩んでしまっている人向け【迷ったら①とことん言語化②ブレたらすかさず再考して立て直す③どうにもならなくなったら気軽に休む】についての記事。
よくネット上でこんなやりとりを見かける。
いいねが全然つかないし、他にも上手い人はいっぱいいるし、何のために絵を描いているのか分からなくなりました……
あなたは他人のために絵を描いているの? 違うでしょ? 自分が楽しむために描いてるんでしょ? だったら今のまま楽しめばOK!
そうですよね! 自分が楽しむってことを忘れてました。これからは絵を描く楽しみを大切にします!
え? それでほんとに納得してる? それで本当にスッキリしてんの? と自分は思ってしまう。
「まずは自分が楽しむために」っていうの一見収まりのいいキレイな答えだし、一瞬は納得するけど、実はいちばん難しいことだと思う。それがずっとぼやけているから悩んでいるわけだし。だいたい「自分が楽しむため」なんて一生かけて答えを探すような問いだもの。キレイな言葉で一瞬は気持ちを立て直したとて、どうせまた堂々巡りになる。
なので自分は、こんなふうに考えてみる。
- 自分が絵を描く理由や意味を、納得いくまで言語化してはっきりさせる
- ブレてきたらすかさず再考し、見直す
- にっちもさっちも行かなくなくなったら気軽に休む
※「自分が絵を描く意味」に迷っている人向けの記事です。もちろん「絵を描くの楽しいから意味なんかいらないよ!」という人はそれでいいのです。
「絵を描く意味」なんて瞬間的なものでいいのでは
「何のために絵を描くのか」と言っても別に「いずれ絵で稼ぐため」とか「プロになるため」みたいな長期的な目標や目的を作るのではなく。
そんなたいした話じゃなくて、そんなに高尚にも哲学的にも考えなくてもよくて、意味なんてごく瞬間的なものでいいんじゃないか。
「今そのとき描きたいと感じるものがあること」こそが絵を描く意味であり、それ以上でもそれ以下でもない。
描きたいと感じるもの、と言ったってせいぜい、
- 今自分がどんな絵を描きたいか(モチーフ、雰囲気、使うツールなど)
- 絵を描いて自分はどんな気分になりたいのか
- その絵を見た人が、どんな気分になってくれたらうれしいか
くらいな感じでいいと思っている。長期的なスパンで考えすぎると実現しにくいし、夢物語になってしまう。
「今のジャンルで」とか「推しの誕生日イラストを描くにあたって」とか「次に出す同人誌はこんな感じにしたい」みたいな、ごく目先のこと。
自分が絵を描く理由や意味を、とことん言語化してみる
「自分が楽しむため(キラキラ)」といった収まりのいいキレイな言葉ではなく、とことん自分の言葉で言語化してみる。カッコよくなくても高尚でなくても目先のことでいい。
たとえば自分の場合は似顔絵を描くのだけど、
- 見ていると気の抜けるような、ぽやんとした、でも似てる似顔絵を描きたい
- 「絵でこの人のこの表情をとらえたい」からの「けっこう似た(ニヤ……)」が楽しい。
- まわりも「ニヤ……」となってくれるともっとうれしい。
みたいな感じ。あまりにも間の抜けた理由だけど、そんなもんでいいと思っている。「みんなを笑顔にしたい」とかだと一見座りがいいけどぼんやりするから、とことん気持ちに忠実に具体的に書いたらこうなった。別にSNSで表明とかしなくてもよいので、カッコつける必要もないし。
ブレたらすかさず再考し、見直す
人間だから、「これだ!」と思ったことが少し経つと全然変わっていることってある。
「このジャンルで○○というキャラの美しさを表現できるようにしたい、これは一生の課題だ!」とそのときは思っていても、数ヶ月後にはジャンル移動して全く別のキャラにハマったりするし。
変わったなと思えばすかさず再考して「今の自分」が何をどう描きたいかを立て直すのって、かなり重要な気がする。
もうすでに飽きたテーマを「いったん立てた最高の目標だし、途中で投げ出すのも人としてどうなんだ」とか大事に抱え続けるなんて退屈で退屈でたまらない。SNSで表明すると気軽に放り出しにくいので、そういう理由でも自分の中だけにとどめ、自由にコロコロ変わっていいことにしている。
自分も似顔絵を趣味や仕事で描く場合の「ニヤ……」という指針は根底にあるけれど、同人活動ではまた別の指針がたえまなく揺れ動いている。色合いに関してだけでも「鈍い中間色を使えるようになりたい」「いや、やっぱ原色カッコいいよね」「彩度キンキンのパステルで描いてみたい」「レトロな色合いって良いよな……どう表現すればカッコよくなるかな?」とか。数ヶ月で好みや自分の求めるテイストが変わってしまう。けど「今、自分がやってみたいと感じるもの」になるべく忠実でいるようにしている。それが「今の自分が絵を描く意味」だと思うので。
※あまりにブレるので仕事の場合「雰囲気をちょっと前の感じに戻してほしい」と言われることもあり、それはきちんとする。
どうにもならなくなったら気軽に休む
今このとき「こういうの描きたい!」が無くなっちゃって、何も出てこなくなったら、それはセンスとか才能とかのせいにせず気軽に休む。人間はただの器だから、何かを入れなければ何も出てこない。
「絵を描く意味」があると、こんな良いことがある
自動的に上達する(正確には自動ではない)
強く「描きたい!」と感じること、つまり目的やら理由やら意味やらがあると、それを描くために一直線で練習なり努力なりができる。パッションに突き動かされてやるっていうのがいちばん効率がいい。
自分の場合は同人活動をしていてマッチョのキャラにハマってしまい、今まで線の細いキャラばっかりだったから全然描けなくて、でもどうしても描きたくて、昔買って全然やる気が起きず本棚の肥やしになっていたルーミスを引っ張り出して模写をしてみたりして、夢中で描いていたことがある。
あと、自分はリアル寄りの絵柄だったので、なんとかしてもうちょっとおしゃれな、少しリアルから崩した絵柄を身につけたくて、BL漫画(当時の自分の中でおしゃれな絵柄と言えばBL漫画の絵柄だった)の模写をしてみたこともあった。
どれも今思うと「そんなたいへんで面倒なこと、よくやってたなあ……」という感じだけど、当時の自分は必死で夢中で、楽しくやっていた。はっきりと「これが描きたい!」という目的やら理由があることで、自動的にがんばれてしまう。
逆に「絵を描く理由ってなんだろう」「何のために絵を描いているんだろう」とか思いながらパッションの無いまま描いていても全然楽しくないし、みもふたもない言い方をすると、捗らないし効率も悪いし、すぐ嫌になってしまう。
たいして登りたくない山に登るために「いかにしたら上手く無難にやれるか」だけを求めて準備しているみたいなもので、何も楽しくない。疲労感だけが残る。だったら「今は登らなくていい」とする。
他人に嫉妬しにくくなる
また「自分はこういう絵が描きたい、そしてまわりがこんなふうに感じてくれるとなおうれしい」みたいな目的や理由があると、むやみに嫉妬しにくくなる。
SNSで絵を描いていていちばんしんどいのが嫉妬だと思うのだけど、上手い人に嫉妬、いいねが多い人に嫉妬、果ては絵関係ない人にまでのべつまくなしに嫉妬……これって人の持ってるものをなんでも欲しがる幼児に似ている。
幼児って、自分はもうAというおもちゃを手に持っていても、他人がBを持っているとそれを欲しがる。AとBを交換してあげて、こっちがAで遊んでいると「やっぱりそっちがいい!」と言ってくる。また交換してあげると今度は「やっぱりそっちが良い!」……SNSの嫉妬ってこれを無限にやるみたいなもんで、地獄以外のなにものでもない。
これって、「自分はAというおもちゃでどういう遊びをしたいのか、もしくはBというおもちゃでどんなふうに遊びたいのか」というのがはっきりしていないからだと思うのだ。
つまり、自分の求めるもの、目的、目指す楽しさがはっきりしていないと、常に他人が良く見えて羨ましくなってしまう。
さすがに幼児に「自分はどのおもちゃでどう楽しみたいのかはっきりさせろ」といっても難しいだろうけど、大人ならちょっと意識すればできる。
「自分はこんなふうな絵を描きたい、そしてこんなふうに楽しみたい」というのがハッキリしていれば、SNSでめちゃくちゃ上手い人をみても「すごいこの人上手い〜〜!!! 私が求めてるものとは違うけど。私にとって何か参考になるとこないかな?」という思考になるので、しんどい嫉妬はしにくくなる。
無理なく描き続けやすい
目的がハッキリしていないとそこから逆算できないから、ただシャカリキにがんばる、みたいになりがち。
たとえば「今は全くの初心者だけどキャラの立ち絵を描けるようになりたい! そしてTwitterにファンアートを投稿してみたいんだ!」という目的があれば、毎日コツコツ練習するのにさほど無理はないと思う。目的として手軽だし、はっきりと形にして達成できる。
でも「なんかすごく上手い絵を描きたい、とにかく人に褒められたい」みたいな目的の場合、何の具体性もないし終わりも見えない。目隠しをされた馬がひたすら自分のケツを自分で鞭打ちながら走り続けるみたいなもので、地獄オブ地獄になってしまう。
シンプルで目に見える目的があれば多少しんどくても続けられる。自分は子どもの頃マラソンが苦手だったんだけど、大人から「あと何キロとか考えるとしんどいから、とりあえず今は次の電信柱を目指して走る! みたいにするといいよ」みたいなアドバイスをされたことがある。
遠い遠い目的地を目指すと疲れるので、ものすごく卑近な目的や目標を立てるということ。
絵を描く理由をハッキリさせる方法・コツ
とは言え、長年絵を描き続けている人ほど自分の目的って見失いがち。
自分もそうだったし、むしろ初心者の頃の方が純粋に「アレを描きたい、コレを描きたい」と楽しめていたかもしれない。
絵を描き始めたきっかけを思い出してみる
私の場合は"人に話しかけるのが苦手だから、絵を描いて人の目を惹き、あっちから話しかけてもらうため"だった。
「そうか、私は人と話すきっかけのために絵を描いていたんだった」ということを思い出してみると、そんなに上手い絵を描く必要はないし、「上手いね」と言われたり思われる必要もないし、見栄を張る必要もない。
ただ自分の思ったことや感じたことを絵に描いて、人に見てもらって、それが仲良くなるきっかけになればそれでいいんだから。(大人になってからも、SNSなどで私は今もこの戦法を貫いている。)
「絵を描き始めたきっかけは、絵が上手いねって言われて尊敬されてチヤホヤされるためです!!!」って人ってそうそういないと思うんだよね……。
なんかもっとシンプルで、とるにたらないような、ささやかな、なんか可愛くてステキなきっかけが、みんなあるんじゃなかろうか。
言われて嬉しかった言葉を思い出してみる
あとは、人から言われて嬉しかった言葉を思い出してみる。
自分の場合はらくがきで似顔絵を描いたときの「似てる笑」という一言が嬉しくて、「私はこれから、見た人がフフッてなる似顔絵を描いていきたいな」と思うようになった。
だから「もっとデッサンやって上手くならなきゃいけない!」ともあんまり思わない。(少しは思えよって話かもしれないんですけど)
それよりも対象のことを愛をもって見て紙の上に表現して、自分で「けっこう似た……(ニヤ……)」とすることや、見た人が「似てる(ニヤ……)」としてくれることのほうが、自分にとって優先順位が高い。
こういった自分のものさしを持っていることで、どんなときにも健全な気持ちでいられる。
「言われて嬉しかった言葉なんかないな……」という人も、たぶん忘れてるだけで何かある。
「私そんないいもんじゃないし……」「お世辞でしょ……」と遠慮して受け取っていないだけかもしれない。今からでもいい、もらえるもんは領収書切ってしっかり受け取る。
思い出してみて、なんならいい感じに思い出を盛ってもいい。それは「こう言われたら嬉しいな」と感じる言葉だということだし、それを知ることに意味があるので。
自分がワクワクするかどうか
自分は似顔絵で笑ってもらえたときにすごく「嬉しい!」と感じたからこれをやっていこうと思った。
人から言われた言葉を全部受け取って、自分の目的にする必要はない。
もし人から「あなたの絵はデッサンがしっかりしてて上手いですね」と褒められたとしても、それに対してワクワクしないならそこを目指す必要はない。そんなの人の顔色をうかがっているだけだし、ずっと評価に依存してしまう。
「今このとき自分は何を描きたいか」が絵を描く意味
絵を描く意味、なんて言うとこじれてしまうから、
- 今自分がどんな絵を描きたいか(モチーフ、雰囲気、使うツールなど)
- 絵を描いて自分はどんな気分になりたいのか
- その絵を見た人が、どんな気分になってくれたらうれしいか
くらいの感覚で、カッコよくなくていいので素直に言語化してみるようにしている。
ブレたらすかさず再考し手のひらクルックル返して、「今の自分」が描きたいものに忠実になるようにしている。
「今の自分」が描きたいものがないときは、気軽に休むようにしている。
絵を描くって形のない修行になりがちで、つい精神論になってしまうと思うのだけど、だからこそキレイな言葉でごまかさずに無様でカッコ悪い自分の本音を言語化していくのって、けっこう良い気がします。