「Twitterで二次創作をしているけど、ジャンル内での交流がめんどくさくなってしまった」
「Twitterの交流がめんどくさくて創作する気力まで薄れてきた」
と悩んでいる人向け【Twitterの交流をめんどくさくしないために考えてみた】という記事。
Twitterで二次創作をしていると、とにかくしがらみやら大手の圧力やら義理のいいねやら、めんどくさいことが多い。
ジャンルの話をしなきゃとか、相手の描いたものを褒めなきゃとか、挨拶しなきゃとか。
これがめんどくさいで終わっているうちはまだいいほうで、いずれこれが苦痛になって、苦痛を受け続けることで無気力になって、創作する意欲まで失った……みたいになっていく。
でもこれって「慣習に則って交流しなければ」と生真面目に考えてしまっているからで、そもそも交流の仕方に正解なんてない。
自分も交流がめんどくさくて苦手でさんざん悩んだので、考えてきたことのログを書き残しておきます。
- 「交流の仕方がわからない」→"いいね"だけでも交流だ
- 「中身のある交流ができない」→意味のない会話でも会話すること自体に意味がある
- 「Twitterでちゃんとしなきゃと身構えちゃう」→プロフィールでテキトウ感を醸し出す
みたいな感じ。
【Twitter】交流をめんどくさくしない考えかた【二次創作】
"いいね"と感じたものに"いいね"するだけでも交流
そもそもTwitterって、気になるアカウントをそっとフォローして"いいね"だけで交流できるのが画期的なSNSだった。
"いいね"と感じたものに"いいね"する。
これはもう立派な交流なんじゃないか。
絵を描いてTwitterに投稿して、同ジャンルのフォロワーさんから"いいね"をもらったら嬉しい。
「この人、たいてい私が絵を投稿したらいいねしてくれるなあ……私の絵を気に入ってくれているのかも」「この人、こういうシチュエーションのイラストを描くといつもいいねくれるけど、こういうシチュがツボなのかな? 分かる、こういうの私も好きだもん! ね、いいよね〜」などなど、嬉しい気持ちがわきあがってきたり、親近感を抱いたり、相手の好みに思いを馳せたりする。
「は? この人勝手にいいねしてきてなんなの? キモいんだけど」とか「いいねだけで済ませるなよ、楽しようとしないでちゃんとリプで感想を言えよ!」とは思わない。
ということは、これって、
描いた絵に"いいね"をもらって嬉しいなと思えば、もう十分に交流できている
人の絵に「これいいなあ!」と思って"いいね"すれば、もう十分に交流できている
ということでいいんじゃないか。
自分が"いいね"をもらって相手の好意を嬉しく噛み締めることができるなら、相手に対しても好意を"いいね"で伝えればそれでいいんじゃないか。
なんでもない普通のことを話すだけでも交流
また、「ここは○○垢だから○○ジャンルの話ををしなきゃ」とか「相手の描いたものを褒めなきゃ」みたいなのもTwitterをめんどくさくしていると思う。
けど、なんでもない交流、中身がない交流っていうのが、実は人と人との距離を縮めるのだそうだ。
精神科医のシロクマさんというかたがこんなふうに書かれていて、「そうだなあ、そういうのいいなあ!」と感じた。
いかに意味のある言葉を交わすかよりも、コミュニケーションすること自体が人と人との距離を縮める。ということ。
例えばマンションの隣の部屋の人とエレベーターで乗り合わせたとき「おはようございます」と言葉を交わす。それだけでお互い知らない人じゃなくなるし、「隣の人はこういう人なのか」と一気に距離感が近くなる。
不思議なもんで、どんな人かをちょっとでも知っていると、お互いの生活音ってあまり気にならなくなるんですよね……寛容になれるというか。
いわゆる【コミュ障】の人って、自分もそうだけど、「中身のあることを言わなきゃ、えーとえーと」と思ってモタモタしてしまう。
だからリプをするにも「こんな中身のないこと言っても仕方ないし」「内容のないリプは迷惑だしすべきじゃないよね……」とかってどうしようどうしようってなって(←この過程がめんどくさい)、結局やめてしまう(←あーまたコミュニケーション出来なかった、私って交流苦手だわ、Twitter向いてない……と落ち込んでしまいさらにめんどくさい)となってしまう。
だけど、仲良くなるまでは会話の中身なんて気にしなくてよくて、うまいこと言わなくてよくて、むしろなんでもない会話をすることを楽しめばいいんだ。そこから始まっていくんだ。
この人のつぶやきや絵を見たいな、と思う相手だけフォローする
同ジャンルの人をかたっぱしからフォローしてしまうと、中には合わない人もいる。どっちが悪いとかではなくて、単に合う合わないだと思う。
Twitterがめんどくさい、という場合、そのTLを作っているのは自分なのですよね。
自分の世界は自分が作っている。
鍵アカウントにして自主的に交流を制限する
自分は社交辞令みたいなのがめんどくさくて苦手なので、人の出入りが多いと負担になってしまう。だから鍵アカウントにして交流を制限してみたらラクになった。
プロフィールで"テキトウ感"を醸し出しておく
プロフィール欄で"私のTwitterはテキトウです感"を醸し出しておくのもけっこうよかった。
- 「TL全部追えてないときがあります」
- 「好きなツイートにいいねしまくっちゃいます」
- 「フォロー・リムーブはご自由にどうぞ! 私も好きにしちゃってます」
- 「フォロー返しは気づいたときに気まぐれです(漏れがあったらすみません)」
みたいな感じでプロフィールに書いている人ってよく見かけるけど、これけっこういい気がしたので自分も真似してみているのだ。
「もともと私はTwitterを適当にやってる人ですよ〜」ということを明示することで相手に諦めてもらう(こまめにリプやフォローを返さないことを許してもらう)、かつ、自分の中でも「Twitterなんて適当でいいんだよなあ」という健全な気持ちを保つことができ、ラクになった。
悔いが残るくらいならシフトチェンジをしてみる
思いつめてしまうくらいならTwitterなんかやめればいいんだけど、そこのふんぎりがつかないから迷ってしまうと思うのだ。
「あーTwitterなんかやめてスッキリした! めでたしめでたし!」ならいいんだけど、「でも本当はもっと絵を見て欲しかったなあ……」「Twitterも途中で諦めてしまったし、やっぱり私はコミュニケーション苦手なんだ」とモヤモヤや苦手意識が残ってしまうと精神的によろしくない。
悩んだ末「やっぱりもっと絵を見てほしい」とまた別のアカウントでTwitter再開、でもやっぱり今回もダメだ……アカ消そ……やっぱりもう一度アカ作って……やっぱり消そ……みたいにやってると、自分の中にむだな不成功体験だけが積み上がってしまう。
悔いが残るくらいなら軽率に他の人の考え方を真似して試したりして、自分が使いやすい方法を探していきたいと思っているところです。