自分の絵の"強み"ってなんだろう? ていうかそんなの自分にあるのかな? どうやって見つければいいんだろう?
という人向け、【自分の絵の"強み"を見つけるために①とにかくいろいろなものを描く②人の言葉を素直に受け取ってみる③自分と他人の兼ね合いを探ってみる、というのをやってみました】という記事。
※正確に言うと「これをやってみたことで自分の絵の強みが分かった気がする3つ」という感じです。
SNSで絵を描いていると、まわりにたくさんの上手な絵描きさんがいるので「私が絵を描く意味って何かな?」みたいに焦ったりする。ちょっと意識高い感じに言うと、「自分の絵の【強み】ってなんだろう?」「私の得意な武器はどれだろう? 何を使えば有利に勝負していけるんだろう?」みたいな。
自分も御多分に洩れずそんな感じで焦ったり悩んだりしていたけど、「これが自分の【強み】だな」と分かってからはウソのように心穏やかになった。その顛末について書く。
自分の絵の【強み】は、自分では分からない
「自分ではこれが得意だと思っている」ということがあっても、他の人から見るとそうでもなかったりする。自分一人で絵を描くだけで他人に見せないのでは、自分の【強み】は分からない。と思う。
自分では自分のことが正確に見られないから。
似合う色と好きな色は違ったりするような、あんな感じ。
一人で好きなように描きたいだけならそれでも全然かまわないし、絵ってそういうものでいいと思うけど、「たくさんの人に見てもらってなんならちょっと評価されたい」というなら当然話は変わってくる。
自分が得意だと思っていることと、他人が見て「いいな」と思っていることはたいてい食い違っていて、そこをどう受け入れていくかがカギになると思う。
自分も今より若い頃は「他人の評価なんて聞くかよ! 私の売りはこれなんだ! ありのままの私を見て! 認めて!」みたいに思ったり、逆にまわりの言うこと全てにへーコラしてしまって自分の描きたいことを見失ったりもした。
今では、自分が得意だと思っていることを貫きつつも、他人から見て「いいな」と思われていることも上手いこと取り入れていくことが、実はいちばん簡単で、いちばん幸せなことのように感じている。
では、どうやって自分の【強み】を見つけていったのかという話。
自分の絵の【強み】を見つけるためにやってみたこと
まだ学生の頃、友人に「自分の絵ってどこが魅力なのか悩んじゃってさ〜」と軽いグチとして話したら「あ、じゃあじゃあ、あなたが描いた絵を見せてアピールしてみてよ! 私、人の絵の良いところ探すの好きなんだ〜!」と言われ、「いや……見せてアピールできるほどいろいろ描いて……ない……っすネ……(小声)」と恥ずかしくなったことがあった。
ここ数ヶ月で描いたモノといえば手癖で描いたバストアップが数枚……みたいな状態で、自分の絵の強みもへったくれもない。
何も知らない他人に自分の絵の魅力を見つけて欲しいんだから、あれこれいろいろ描いてみなければ始まらない。
という当たり前のことに、そのときやっと気がついた。こうやって書いていてもお恥ずかしい……。なにが「自分の絵ってどこが魅力なのか悩んじゃってさ〜」だよ……自分よ……。
手癖で描いた数枚だけを堂々と見せて「さあ上手いでしょ? 私の絵の魅力を言ってごらん?」と言うほどまでには自分がアホでなくてよかった。
ポートフォリオを作るつもりであれこれいろいろ描いてみた
それをきっかけに、自分の絵をアピールするポートフォリオを作るつもりでとにかくあれこれいろいろ、描いてみることにした。他人にどれが刺さるか分からないから。
すると、これが思った以上に面白かった。
TumblrというSNSがあるのだけど、そこで国内外を問わずいろいろなクリエイターをフォローして「へえ、こんな表現方法があるんだ」「この表色使いいいなあ」などとインスピレーションを受けては、どうやって自分の絵に生かそうかと考えるのが楽しかった。
今まで描いたことのないようなものを描いた。たとえばこんな感じ。(自分は似顔絵を描く絵描きなので、似顔絵に応用することが多かった)
- 昔から好きだったメカ系(タイムボカンシリーズ)
- 絵本のようにストーリーを持たせた連作
- 少女マンガっぽい絵柄
- 80年代サンリオっぽい絵柄
- バブル期のわたせせいぞうさんっぽい絵柄
- レトロな少年マンガっぽい絵柄
- 動物のイラスト
- フォントデザイン(絵ですらない)
そのうち自分の強みがどうのこうのとかはどうでもよくなり、一人遊びとして絵を描く喜びを思い出してただただ描くことを楽しんだ。
忘れた頃に(10年後くらい)、それぞれ違う知人から「あなたが描く動物すごくいいね」とか「このフォントのテイストでうちの商品のデザインをしてよ」みたいに褒めてもらったり認めてもらったり、ちょっとだけ仕事につながったりした。
動物なんて今まで描いてこなかったけど描いてみたら意外と気に入ってもらえたり、フォントなんて作ったことなかったけどやってみたら意外と楽しめてかつ必要としてもらえたり、「全然ノーマークだったけど、それも自分の絵の【強み】だったのか!」ということってある。
たぶんこれは誰にでもある。隠れた【強み】が。でも描いて形にしなければ発覚しない。だからとにかくいろいろあれこれ描いてみるのが最重要ということ。
人の言葉を素直に受け取ってみた
昔の自分を思い出すと、「私はここが得意なんだからここを褒めてよ!」の一点張りだった。
もし「あなたが描く動物すごくいいね」「このフォントのテイストでうちの商品のデザインをしてよ」などと言ってもらったとしても、
「別に私は動物を描きたいわけじゃないし。褒めるならもっと人物の方を見て欲しいんだけど!」
「フォントのデザインをやりたいわけじゃないし。私は絵描きなんだからフォントなんか褒められても困るんだよね」
とか思って素直に聞かなかっただろう。(我ながら腹立つなあ……)
これが「好きな色と似合う色は違う現象」で、自分が得意だと思っているものと他人が興味や好意を抱いてくれるものが異なることが、往々にしてある。
そこを素直に受け取るか受け取らないか。まあどっちでもいいんだけど、受け取り方によって絵を描いていく上でのこれからの運命が変わってくる。
自分と他人の兼ね合いを探ってみた
とは言え他人に「これがいいね」と言われればそればっかり描き、「こう描いて」と言われたら言われるままに従い……とやっているのでは、絵を描くことはつまらなくなる。
「趣味で描いていた頃は楽しかったのに、仕事で絵を描くと好きに描けず苦痛になった」という人の場合はそんな感じなんだろうと思う。
趣味で描いてSNSに投稿するにしても、「本当は描きたくないけど、こういう絵を描くとウケるからしょうがない描くか……」みたいにおもねっていては、そりゃあつまらない。
だから、「自分の得意はこれ、こう描きたい」と「他人が求めるのはこれ、こういうのを欲しがっている」の兼ね合いを探るということになる。
「無理無理! 人の顔色をうかがって絵を描くみたいなのいやなんだよね! 絵を描く意味が無いよ!」と昔の自分は反発していたけど、ならば自分が絵を描く意味はなんなのかと考えてみると、やっぱり人に見てもらうためじゃん。何言ってんの? となった。
(この昔の自分の傲慢さ、ほんとなんなんだろう……腹立つわ……)
最近の自分のやり方はこんな感じ。
- いろいろあれこれ描いて、反応が薄かろうが人に見せ続けていく
- たまにいいねをもらう
- 「おっ、この人はこういうのが面白いんだな」「この人はこういうテイストが好みなんだな」という手応えを感じる
- 「じゃあこういうのはどうかな?」「こういうのも好きなんじゃない?」みたいに次々と「描いて見せたいもの」が湧いてくる
- 反応があったりなかったり、別の人から反応があったりする
- さらに発想が湧いてきて、またいろいろあれこれ描いて人に見せる
(これの繰り返し)
絵って、自分が描きたいものを描くことこそが楽しいんだと思っていたけど、人を喜ばせたくて描くことも別の方向にすごく楽しいものなんだなあ……と自分は感じた。
自分が描いて楽しいことを描くvs 他人が見て楽しいことを描く
ということなので、たとえどっちに転んでも自分か見る人か、どっちかは必ず楽しいことになる。
【強み】は誰にも必ずあるけど、手っ取り早く見つかるものではない
自分の絵の【強み】を見つけるため・把握するために自分がやってみたことは、敢えて言葉にするならば、
- とにかくあれこれ、いろいろ描いてみた
- 人の言葉を素直に聞いて受け取ってみた
ということだと思う。
さらにその【強み】とやらを自分の枷にせず、良いように生かすには、
「自分が描いて楽しいもの」と「他人が見て楽しいもの」の兼ね合いを楽しんでみた
というのが自分の幸福度的には良かったように思う。
「そんな悠長なことやってられないよ! 手っ取り早く私の絵の良いところ5つ言って!」となるかもしれないけど、絵を描くってそんな手っ取り早くどうこうなるものではないと今の自分は思っている。
ただ、昔の自分も「どうでもいいから1秒でも早く私の絵を認めてくれ!」という感じだったので、今とにかく気が急いている人の気持ちも分かる。
手っ取り早く褒めてほしいという場合は、「あなたの絵の良いところ褒めます!」みたいな添削サービスなどで褒めてもらうこともできます。