「私の絵って上手い? 下手?」気になってしまったら読んでほしい。

「私の絵って上手いのかな? 下手なのかな?」

「フォロワーが◯◯人でいいねが◯個、これって多いのかな? 少ないのかな?」

と気になってしまう人向け、【そこらへんが気になりすぎるのは危険かも】ということについて。

Yahoo知恵袋なんかで「中2でこの絵って上手いですか?」「この絵って何歳くらいが描いたように見えますか?」という質問をよく見かける。

「自分の絵って上手いのかな? 下手なのかな? あわよくば上手いって言われたい」という、ほほえましいというか痛々しいというか、数年経ったら確実に黒歴史。(ネットに残ったものは一生消えないぞ!)

ただの黒歴史で済めばいいんだけど、何にでも上手い下手の基準を設けて自分は上か下かを決めたがる考え方は、生涯自分を苦しめることになりかねない。ので、やめた方がいいよということについて。

上手いか下手か基準を求めたがる考え方が危険な理由

例えば学力テストなら、点数というはっきりした基準がある。大学受験や資格試験も、この点数を基準に合格か不合格を決める。

でも趣味の絵に基準を決めたがるのって、何か意味ある?

そもそも優劣のないものにむりやり優劣をつけることで、「私は標準よりも優れている」と安心したいだけなのではないだろうか?

むりやり優劣をつけることの危うさについて挙げていく。

他人のものさしに頼ってしまう

「自分なりに上手く描けた。自分の中では大満足!」というのは何も問題ない。正しい自己満足ができていて、健全な趣味だと言えると思う。

でも「自分では上手いと思うけど、他人から見たらどうなんだろう。上手い? 下手?」と気になってしまう場合、それは健全で楽しい趣味とは言えない。

スポーツなんかだと、フォームが正しいかコーチに見てもらって改善し、成績を上げていくことができる。

絵でも、どうしても助言が欲しければデッサン会やクロッキー会に参加して、プロの講師にお金を払ってアドバイスをもらうことで上達する。

でも、ネット上の、絵のことについて何も知らない他人のものさしに頼るって危険じゃない?

匿名Aさんに「中学生でこれだけ描ければ上手いですね! これからもがんばって下さい!」と書き込みをもらって大喜びした後、匿名Bさんに「体も描けていないし小学生レベルでは?」と言われて落ち込む……みたいに、無責任な他人の言葉に一喜一憂することになる。

「ここを直せ」と言われたら言うなりに直して、「ここがダメだ」と言われたら「ここがダメだと言われたんですが、なぜダメなんでしょう? 直すにはどうしたらいいですか?」とまたYahoo知恵袋で質問する……。地獄か。

他人のものさしに頼るクセがつくと、絵だけでなく、人生すべて他人の評価を気にして振り回されてしまう。

これはかなり幸福度が低い。

絵を承認欲求の道具にしてしまっている

絵を楽しく描くことより、他人から「上手い」という評価をもらうことの方が気になってしまっている……という可能性も。

「上手いと言われないなら絵を描く意味がない」と思ってしまう場合、絵を承認欲求の道具にしてしまっているのかも。

もちろんそれでもいいんだけど、それをきっかけにプロになるような人もいるんだけど、そこまでがんばれるならそれはそれでむしろ尊いんだけど。

たいていの場合、承認欲求を満たすためにもっとあれこれ手を出してそのたびにがっかりしたり落ち込んだりして、最終的に何も残らない。

これも幸福度が低い。

ゴールを目指しすぎてしんどい人生になる

「どれくらい描ければ上手いってこと?」「どれくらいのレベルなら恥ずかしくないんだろう?」とゴールを気にしすぎてしまう人も、生き急いでいるというかしんどい人生だと思う。

そもそも絵にゴールなんかないし、ゴールのない正解のないものを楽しみつつ一生描けて探求するのが絵の醍醐味なのに。

ダイエットもそうだけど、「食事制限で◯キロ減!」みたいなゴールだけを設定するのではなく「食事制限で体質を改善していって、結果的に◯キロ減」が正しい在り方。

ゴールだけを追い求めていく人生は、焦りや不安、イライラに支配されて幸福度が低い。

若さによるアドバンテージを利用するのもほどほどに

「中学生でこんなに上手い絵が描けるなんてすごい!」「20代前半でこれだけ描けるのはすごい才能だね」みたいに褒められたい気持ちはよく分かる。

でもその考え方って、若さのアドバンテージに甘えてるだけじゃないだろうか。

小学一年が一人で買い物をすると「すごい! 偉いね!」って言われるけど、小学四年にもなれば褒めてもらえなくなる、みたいなもので。

"若いのにすごいね!"は、歳を取ったら"ただの人並みで何の取り柄もない"になる。

人間は必ず、ぜったい、確実に歳を取るようにできているので、若さのアドバンテージに頼り過ぎると「私はいい歳なのに何も取り柄がないな……」という人になってしまい、幸福度が低い。

人の評価を気にしないで絵を描くには

だったら、優劣を気にしないで絵を描くためにはどうしたらいいか。

自分はどんな絵が描きたいのかはっきりさせる

そもそも絵って自分の中の何かを表現するために描くもののはず。

「上手いね!」と言われるためでもなく、合格点を取るためでもない。

自分はどんな絵が描きたいのか、絵で何を伝えたいのか考えてみよう。

自分の気持ちを分析する方法はこちらに書いた。

自分の絵のいいところを伸ばす

「私の絵って上手いですか? 下手ですか? 下手だとするとどこを直せばいいですか?」みたいな人がよくいるけど、短所を直すよりまず長所を伸ばした方が効率がいい。

ドラクエだって『ちからのたね』は『ちから』の強い戦士や勇者に使うし『まりょくのたね』は『まりょく』の強い魔法使いに使うだろう。

まずは出来るだけ長所を伸ばせば余裕や余力ができるので、そのあとで短所を埋めていけばいい。

「自分の長所なんか分からないよ! それもYahoo知恵袋で聞かなきゃ……」という人は、その前に以下の方法を試してみて欲しい。

まず、短所をひっくり返してみる

自分の絵の短所を見つけ、それをひっくり返してみる。

(※「ここが苦手だな」というのは描いていて自分がいちばん分かるはず。なのに他人に聞いてみたくなっちゃうのは、それがごまかせてるかどうかを探りたいのかもしれないね。)

例えば「なんか棒立ちで動きがないんだよな……」という短所なら、「動きでごまかさなくても、そこそこ見られる絵を描ける」という長所があると言えるんじゃないだろうか。

「体の関節に自信がないから、凝った衣装でごまかしちゃう」という短所なら、「凝った衣装を描ける」「不得意なところをうまくカモフラージュできる」のは長所と言える。

そしたら、それを伸ばしていこう。

「自分は動きのある絵が描けないからダメだ」と無理に動きをつけようとするのではなく、今までのスタイルで"動きがなくても見入っちゃうような絵"を突き詰めてみる。

体が苦手なのをごまかすのが目的だった凝った衣装を、もっと力を入れて"売り"にする。

そのあとの余力で、できる範囲で短所を補強する

長所を自分なりにカンストさせたあとで、できる範囲で短所を補強していく。

長所がカンストしてるぶん気持ちにも余裕ができ、「このままでも自分の絵は十分に好きだけど、そういえばこのへん苦手だったな」と気楽に取り組める。

『まりょくのたね』余ったからまあ使わなくていいんだけど勇者にも使うか、みたいな感じ。

こうして自分で短所や長所を把握し、見ないふりをせず取り組むことで、他人の評価はたいして気にならなくなる。

優劣を気にしないクセをつけていきたい

自分は偏差値で全てを判断される時代に学生をやっていたので、「競争が激しい世代だから優劣を気にしすぎる。これが生きにくくなる原因だ」なんて言われてきた。

でも実はあんまり世代って関係なくて、むしろ今の方がSNSやネットもあるし、周りとの優劣に敏感になりがちなんじゃないだろうか。

子どもだけじゃなく、大人も年収やら配偶者の職業やら子どもの進学先やらでまわりとの優劣を気にしている人が多い。

ずっと、全部、何から何まで優劣をつけていると、安心感も幸せもなくなってしまう。

子どもの頃から趣味の絵ですら優劣をつけたがっているようでは、一生優劣を気にする人生になっちゃうよなあ……と思ったので、この記事を書いた。

何にしても、Yahoo知恵袋で「中2でこの絵って上手いですか?」は本当にやめといた方がいい。

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