長いことイラストの練習をしてるのに上手くなってる気がしない……このまま練習していて上達するのかな?
と不安になっている人向け【こんな練習法は上手くなりにくいかも】という記事。自分が長年やってきてしまった「絵が上手くならない間違った練習方法」と、それを改善した話です。
自分は小さい頃から絵を描いてきて、高校の美術科受験や美大受験を経験し、同人歴も同じくらい。
悩んだあげく結局は美大から逃げて「イラストは一生趣味のままでやるからいいんだ!」と同人活動に没頭(依存?)するも思うように絵が描けず、嫉妬にまみれ、性格も人格もドロドロの最悪になって長いこと暗黒時代を過ごした。
そこを恩人によって救われ、デザインの仕事を経験させてもらうことでおかしなプライドと闇の衣をやっと脱ぎ捨て、今は心の平穏を取り戻した。
プライドが剥がれた今やっと「自分の絵の練習はムダが多かったな。そりゃあ絵も上手くならないよ……」と反省することができている。
「こんな練習をすると絵が上手くなりますよ!」ということは講師でもない自分には分からないし、そもそも人それぞれだから言えないけど、
「こんな練習をしていると上手くなりませんよ!」ということなら自信を持って言える。
なぜなら自分は技術・メンタルともに「上手くならない練習」のプロと言ってもいい。
そんな自分が長年やっていた上手くなりにくい練習方法(と、それを改善したときの話)について書いていきます。
手癖で量産は上手くならなかった
「毎日たくさん描くぞ!」と張り切ったはいいものの、描くものと言えば同じ角度でバストアップだけ……。これではいくら描いてもロスのほうが大きかった。
自分はがんばっている気になっていたけど、そうでもなかった
手癖で量産はなぜダメかというと、
- 描けるものしか描かない
- 一時的に楽しいけど飽きやすい
- たくさん量を描いていることへの慢心
- 上達の手ごたえがなく不安になりやすい
- かわりばえがせず、見る方も飽きるのでいいねがつかない
特に「毎日たくさん描いている=「私は毎日がんばってる! 努力してる!」という気になってしまうのが最大のダメポイントだったように思う。
「がんばってるのに」、上手くならない……
「がんばってるのに」、いいねがつかない……
という感じで、労力のわりに報われないのでだんだんイヤになってしまう。
「これじゃ成果が出ない」と分かっても尚、やり方を変えようとしなかったのは不思議。思考停止していたのか。目をつぶってただめちゃくちゃに手を動かしてやみくもに描き続けていたようなものだった。
描けないものを意識して積極的に描いてみた
と言っても自分は「手癖を直そう!」と思って直したわけではない。
手癖スパイラルの中でもみくちゃになっているときに新しいジャンルにハマり、二次創作に夢中になって、描いたことのないものをたくさん描いたことが、結果的によかった、助けになったと感じている。
今までは日本の学園モノみたいなジャンルが多かったので、描くモチーフも少年少女くらいに限られていた。服装も現代日本のものばかりだし、いつも同じようなものを手癖で描いていたように思う。
でも新しくハマったのはゴシックホラーや異世界バトルもの、格闘ゲームなど。ハマったキャラもいかつい西洋の戦士とか、老人、中年のおじちゃんおばちゃん、着るものも洋装和装から半裸までいろいろ。半裸ということは、本腰入れて人体を描く練習をする必要もある。
「うわー、そんなキャラ描いたことないよ!」「筋肉ってどうなってるの!?」と言いつつも楽しくて、「描きたさ」が勝って、夢中で調べたり本を買ったりして練習していると手癖を使う暇がない。いつのまにかたくさん試行錯誤して、いつのまにかたくさん描いて、いつのまにか描けるものが増えている。
これは絵を描いている人なら経験があるんじゃないかと思う。
今思えば、別の複数のジャンルにハマったあの経験が、手癖で描くことをやめられたきっかけだった。
※自分の場合、今までは「制服を着た少年少女」しか描けなかったから「制服を着た少年少女」しか出てこないジャンルばかりに寄って行っていた感もある。自分に描けなそうなものは見ないフリをしていた、というか。
ノープランでなんとなく描くと上手くならなかった
なんとなく描き始めてなんとなくできあがり、SNSにアップするところでキャプションに困る……というような絵は、ただの落書きになりがちだった。
欠点と向き合わないから自信もつかなかった
「ノープランでなんとなく」描いていると、
- 自分の欠点を無意識で避けてしまう
- イラストの仕上がりにムラができ、安定しない
- 何が言いたいか分からないイラストなので、いいねがつかない
描くのが苦手なパーツをごまかしたりして欠点と向き合わないため、いつまでも絵に自信がつかず不安感がつきまとう。上手く描けてもまぐれなので次に描いたら上手く描けないことも多く、いつも綱渡り状態。上手く描けるかどうかはいつも偶然に振り回されるので、絵を描くのがおっくうになっていった。
また、「自分は描けないものをなんとなく適当にごまかして描いている、自分では上手く描けている気がしない」という意識があるので、もし人から褒められたとしても喜べない。「いや全然上手くないです……褒められても困ります……とか言いたくなってしまい、めんどくさい絵描きの出来上がり……。
これでは自分にとっても見てくれる人にとっても楽しくない。
テーマを決めて描くようにしてみた
そこで「絵のテーマ」について改めて考えてみるようになった。
絵に限らず何らかの表現活動って「テーマを持たせよう」みたいなことを言われるけど、テーマって何だろう?
まず、絵のテーマって何だろう?
人物を描くときに自分が指導教諭からよく言われたのが、
- 「動きの前後を意識しろ。どうつながってきて、どうつながっていくのか」
- 「この人物は何を考えているのか、何をしようとしているのか」
ということだった。
当時はよく意味が分からず(今思うと、これでは自分のような凡人高校生には意図がつかみづらいかも……?)スルーしていたけど、十数年越しに分かった気がしたので解説してみた記事はこちら。
要するに、「この人物はどういう人で、どんなことを考えてどんな気持ちで何をしようとしている途中なのか」というような情報量を増やすことで、見る人に物語をもたらす、これが絵のテーマというやつなのではないかと今は考えている。
テーマを決めて絵を描くって、具体的にはどうすればいいのか
「なんとなく描き始めて、まあ、もしなんとなくいい感じになったらTwitterに投稿しよう」みたいな描き方をやめてみた。
描くモチーフに対していったん立ち止まって、ちょっとだけ(数十秒)、「このキャラはどんな気持ちで何をしようとしているところなのか、何をする途中なのか」を考えてから描くようにしてみた。
また、毎回それを考えるのも頭が疲れるので、外部からのテーマをそのまま採用して描く、いわゆる「お題」を得て描いてみたり。
テーマありきで絵を描くことで、
- 何をどう描きたいかがはっきりし、意識的に描ける(手癖にも陥りにくい)
- 見てくれる人に何かが伝わり、褒められたときにも素直に喜べる
- 自分の描けない部分や苦手なところが分かり、努力するべき方向が分かる
一枚の絵を完成させない練習では上達しなかった
下書きだけでやめたり、マンガならネームを切って終わりにしちゃったりして、「飽きたw」とか言って描きかけをSNSに投稿して、それで今日も絵を描いた気になってしまっていた。
自分では上手く描けたと錯覚して、周りの評価とズレが生じた
シャッシャッと下書きしただけの絵って、線が多いから脳がごまかされて「なんとなく描けているように」「自分では」見えやすく、「自分では上手く描けているつもりなのに実際はたいして上手く描けていない(当然、評価もされない)」になってしまうことが最大の問題だったように感じる。
- 自分には自分の絵が上手く見える(と錯覚している)ので、そこで創意工夫が止まってしまう
- 「上手く描けてるのにいいねがつかない!」とモヤモヤ
こんな感じの、かっこわるいループにハマってしまっていた。
下書きや描きかけでごまかさず、完成させるようにした
そもそも描きかけで放置してしまったり飽きてしまうのって、最初から「なんとなく」「手癖で」描いているからなのかも……?という気がする。上に挙げてきた要素も全部が絡み合って、ダメな練習になってしまっていたのだと思う。
だからまずはテーマを決めて意識的に描くようにし、最後まで仕上げるようにしてみた。不思議なもので、テーマを決めて意識的に描き始めることで、最後まで飽きずに仕上げたくなったりするようにもなった。
資料を見ないで描いても上達しなかった
「絵が上手い人は何も見ないで描けるはず、そこがゴールだ」みたいな誤解をしている人は、絵描きの中にもいる気がする。実際は絵が上手い人ほどしっかりと資料を集めているし、それを丸写しではなく自分の中で消化して作品に反映させている。
※ネットなどで集めた資料をそのまま丸写しすると他人の権利を侵害する、いわゆるトレパクになってしまいます。
資料を集めずに描くのは、手癖で描いているのと同じだった
資料も集めずに描く=自分の中の少ない知識や狭い世界のことだけを出力するのって、結局は手癖で描いているのと同じになってしまう。
- 想像やごまかしになる
- 作品に説得力が薄く引き込まれないので、見向きされない
資料を集めるクセをつけてみた
執拗なまでに資料を集める絵うまの友人がいて、自分で写真を撮りに行ったり、それも違う角度から何枚も撮ったりしていて、いつも不思議だった。あるとき「あなたならそんなの見なくても描けるんじゃない? 何でそんなに資料を集めるの?」と聞いてみたら「うーん……? 分からない、趣味かな……?」と本気で分からないようだった。
自分もなんとなく友人の真似をして資料集めをしてみているうちに、資料を集めるという行為は、すでに頭の中で絵を描き始めているようなものなのかも、という感覚になってきて、「(資料集めは)趣味かな……?」と言っていた絵うまの友人の気持ちが少し分かった気がした。資料集めはそこからすでにクリエイティブな行為なんだと思う。楽しいです。
自分の世界だけ描いても上達しなかった
自分は「オリジナルだけ描きたいから」「自分の世界を大事にしたい、他の作品に影響されたくない」と、頑なに他人からインプットしない……みたいな人間だった。
今思えば「なーにが自分の世界だ! そんな狭くて貧相な世界の王様であぐらをかいて、何を傲慢なことを言っているんだ!」と恥ずかしくなるのだけど。
描きたいものも枯渇し、進歩のない古くさい絵を描き続けていた
当然成長も止まり、描きたいものも分からなくなり、進歩のない古くさい絵を「これが自分だから!!!」と意固地になって、評価されなくて、まわりをうらんで、嫉妬して……でも自分のほうが優れていると錯覚しているから他人の作品は素直に見たくないし、いつまで経っても進歩がない……の地獄。
ここにハマると無限ループで長引く。下手をすると一生出られない。まさに地獄の苦しみになる。
「私の描きたいものなんて、もう誰かがとっくに描いてるよな……」
自分の世界を描きたい、というのも決して悪いことではなかっただろうけど、「私の描きたいものなんて、もう誰かがとっくに描いてるよな……」というくらいの謙虚さは心のどこかにあったほうがよかったな……と思っている。
そのためにも、他人の作品に目を向けるようにした。というか自分は二次創作をするので、自然といろいろな人の作品を楽しむことができている。
萌え(言葉が古い)を補給するというシンプルな衝動に突き動かされていると、上手い人の作品を読んでも嫉妬するとかよりもただただ純粋にありがたく、うれしく、心の養分となっていくように感じられるようになった。
「うおー、それ読みたかったやつ……!! ありがたい……!!」と喜びいっぱい夢中で享受して、そのあとで「ふう……良い……! 上手いなあ……すごいなあ(ちょっぴり嫉妬)……でも自分が描きたいのはもう少しこんな感じなんだよな」と、新しい切り口を模索することができる。
理由をつけて練習方法のより好みをすると上達しなかった
「上達のためにデッサンやるといいよ」→「私が描きたいのはマンガだし、デッサン関係ないから!」
「模写するといいよ」→「それは効果ないってネットに書いてあったからやりたくない!」
「このアニメーターさんがこう言ってた」→「その人の実績は? 大したことないじゃん、あてにならない!」
など理由をつけて練習方法をより好みし、結局何もせず、当たり前だけど上達しなかった。
こう書くと恥ずかしすぎる……。けど、自分が上達しなかったいちばんの原因はこれだと思っている。
プライドだけが高くなり、まわりからも敬遠されがちになった
あと、こんなふうにこじれたプライドをちらつかせている絵描きと仲良くしたい人ってあまりいないわけで、まわりからも敬遠されがちだった気がする。
そうするとよけいにお山の大将になってしまって、昔の自分なのにどう言ってやったらいいか分からない。何か言ってやっても刺々しい言葉が返ってきそうだし、関わりたくない。昔の自分のまわりにいた人たちも、こんな気持ちだったのだろう……。
少しずつ自分の傲慢さに気づいたので、一つの方法を信じて素直に取り組むようにした
とは言え、傲慢さというのは誰でも持っていると思う。
あからさまに刺々しくプライドをちらつかせる人もいるし、「いやいや私なんて全然下手で……」と口では言いつつも心の中では真っ黒なものを必死で制御している人もいる。
自分の場合を鑑みるに、こういう傲慢さって、まわりの人がそれとなく指摘してくれたり、手酷く失敗してズタズタになったりして、じょじょに気づいていくしかなかった。一気に目が覚めて傲慢さをゼロにして生まれ変われるなんてことは、多分ない。
ちょっとしたことで謙虚さを取り戻したタイミングで、一つの方法を信じて素直に取り組む。そしてまた傲慢に逆戻りしたり、また凹んで一瞬謙虚になったり。そんなことの繰り返しだったように思う。
好きだなと感じる絵描きさんや尊敬できる友人の練習方法を見て真似してみたり、デッサンやクロッキーの本を模写してみたりしていた。
デッサン本もいつも選り好みしすぎて結局何も買えずじまいになっていたけど、「少なくとも自分より上手い人が描いているのだ」という真実に気づくと、素直に買えたりするようになった。
「書籍を買ったら一冊全部とにかく模写してみる」というのはメンタル的にも「私がんばったよ……! やり遂げたよ……! ありがとう……」という達成感があって良かった気がします。
くだらないプライドや慢心のせいでロスをしてきた
どれも自分が今までやってきた、ロスの多かった練習方法。絵が上手くならないだけでなく、まわりからも評価されないので二重の苦しみがある。
こうして振り返ってみると、間違った練習法というのは、技術的なものというよりほぼメンタルの問題だなと思った。気付きさえすればすぐにでも改善できることばかりなんだ。
自分はなにも「特別人より劣っているせいでなかなか絵が上手くならなかった」のではなく、単に「こじれたプライドのせいでここまで時間をロスし続け、無駄に苦しんできた」のだ。
もっと早く、たとえば高校生のときに気づいていれば「どうせ私はセンスも才能もないから生きていても無駄」みたいな暗黒時代を送ることもなかっただろう。こんなにひねくれた性格にもならなかったかもしれない。
ただ、「上手くならない練習方法」をたくさんしてきたおかげでこうやってブログに書くことはできたので、ムダではなかったと思いたい。
けっこう、他人のアホさをみてハッとするみたいなことってあるので、誰かがこの記事を読んで「うわー、痛い絵描きもいたもんだ! こうはなりたくないねー!」と思ってくれたなら、それでいいのかなと思います。