「私はTwitterに向いてない!」と言っちゃう前に分析してみる

「あーしんどい、私はTwitterに向いてないなあ……」

「SNS向いてないから、やめようかなとは思うんだけどやめられない…」

とつい言いたくなっちゃう人向け、【「コミュ障だから・いいねつかないから・気にしいだから、Twitter向いていないわ…」と感じてしまったときヒントになるかもしれない、ケース別対策法】の記事。

※絵描き向けのブログなので、主に絵描きの場合について書いています。

悩みごとって長いこと頭の中でぐるぐる悪循環させたあげく、極端な結論づけして強制終了させがち。

Twitterをやる上で何かモヤッとすることがあったとして、「やっぱり私Twitter向いてないわ」と一足飛びに結論を出してしまうと、

→向いていないからTwitterやめる:「あーあ、どうせ私は何をやってもダメだよね。Twitterすら続けられなかった」

→しんどいけど続ける:「どうせTwitter向いてないけど続けなきゃ。あーあ、つらいなあ」

の二択になってしまい、どっちも自己肯定感が下がる。

「しんどい」とか「どうせ」とか言っておけば何も考えないで済むしその場は楽なんだけど、それだと生きてるだけでどんどん自己肯定感が削られて、いつも自信のない卑屈な人間になっていく。(これは私の経験です)

たかがTwitterの話だけど、

途中のモヤモヤをすっ飛ばさずに分析してみる

じゃあ自分はどうしたいのかを決めて行動を変えてみる

という練習になるのかもな、と思ったのでこんな記事を書いてみた。

「私はTwitterに向いてない!」と言っちゃう前に分析してみる

まず、なぜTwitterが楽しくないのか、苦痛なのか。

コミュ障だから交流できない

「コミュ障だから交流が苦手。Twitter向いてない」というニュアンスのつぶやきはよく見かける気がする。

communication:伝達、報道、伝えること、通信

コミュニケーションってそもそも「伝える」という意味の言葉であって、誰かとベラベラ意味もなくしゃべり合うことではない。

勝手につぶやく、勝手にファボする、それがコミュニケーション

Twitterはサービス開始当初、一人で勝手につぶやいて、それに誰かが勝手にいいねする。それだけのツールだったように記憶している。

一人で勝手につぶやく(伝える)→ ←ファボをする(共感したことを伝える)

そこにはシンプルなコミュニケーションが成立していた。

それが今や「F F外から失礼します! あなた様の絵が好きです! 突然のリプ失礼しました!」「ありがとうございます! フォロー失礼します!」みたいな謎のあいさつ場みたいになってるけど、そんなやりとりこそ何も伝達できていないし、コミュニケーションなど成立していないように感じる。

「コミュ障だから交流できない、だからTwitter向いてない」と感じてしまったら、「みんなぼっちで良いのである。コミュニケーションとはそういうもの。勝手にひとりごとを言い、勝手に絵を描き、他人のひとりごとや絵にいいなと思ったらいいねする、それがTwitterのすべてである」ということを思い出すことにしている。

中身のないリプを長々とやり取りするより、共感できるひとりごとを呟いている名前も知らない誰かにいいねするときのほうが"伝え合っている"という気が、私はするのだけれど。

「人並みに楽しくおしゃべりしたい」なら雑談のコツを知ってみる

「いやー、そういうんじゃなくてさ、ぼっちでいるのが恥ずかしいって言うか、人並みに普通のおしゃべりをしたいけどできないんだよ……」という人は、これは私もそうなんだけど、"Twitterに向いてない"とかではなく雑談のスキルが低いだけかもしれない。私はリアルでも雑談が苦手だったりする。

だったら、楽しく雑談するコツを知ってみるのはどうだろう。

ブログのネタにならないかなと思って最近『超雑談力』という本を読んだのだけど、Twitterでのやりとりに応用できる部分も多かった。

会話のラリーを無理なく続けるコツとして、こんなことが挙げられている。

  • 「うまいあいづちや切り返しをしようとしない」
  • 「否定やアドバイスは不要」
  • 「情報ではなく気持ちを話す」

これ、リアルでもTwitterでもけっこう正反対のことをやってしまいがちではないだろうか。

  • むだに大げさなあいづち……「うおおおお○○さんに見ていただけている!?えっあっ挙動不審ですみません!、!!もったいなすぎてやばいです!!!」
  • 見当違いのアドバイス……「えーっとたぶんルーターの問題ですかね? 私はAndroidなのでよく分からないです(汗)どこかに問い合わせてみては?」
  • ググればすぐに分かるような薄い情報……「ヨドバシで買うならヨドバシドットコムっていうサイトがあります! 既にご存知だったらすみません!」

そんなことをつい張り切ってリプで送ってしまい、気まずくなって自己嫌悪。→「はあ……交流苦手……Twitter向いてない……」

私もけっこうやってるかも……。

気づけば直せるし、直すと「私ソツなく雑談できてる! やればできるんだ!」と自己肯定感が上がる。かもしれない。

イラストに正当な評価がもらえない(自分のイラストにいいねが少ない)

あとは「Twitterでは交流して愛想を振りまいて褒め合いっこしなきゃいいねがもらえない、自分はそんなくだらないことしたくない、自分のイラストを見てほしい、認めてほしいだけなんだ! だから自分はTwitterには向いていない」というようなことも聞く。

自分もそういう考えだった時期があったけど、今はそれはちょっと違うのかなという気がする。

愛想を振りまかなくても褒め合いっこしなくてもいつも不機嫌でもいつもネガティブでもいいねがたくさんつく人もたくさんいるものね。

また、Twitterは絵を通じてコミュニケーション(※1)をするための場であって、自分の絵に対して評価をもらうための場ではないので、根本的に求めているものが食い違っているとも思う。

フォロワーさんは『爆笑オンエアバトル』みたいに絵描きの作品をみてジャッジするために存在してくれている観客などではないし、お母さんでもないし、担任の先生でもない。

もし正当に評価されたいなら、それなりに手間とお金を出してそのような機会を得る必要がある。

※1 コミュニケーションとは、褒め合いっこしてキャッキャウフフすることではなく「伝える」こと。「これが好き、これを伝えたい。同じ性癖を持つ誰かに届いたらいいな……」と思って絵を描いてアップする行動それ自体を指して言っています。

人目が気になってしんどい

「人目が気になって何もつぶやけない、イラスト描いても写真を撮ってもためらってアップできない……これじゃTwitter向いてないよね?」と言っている人もいる。

それって、たいへんすばらしいネットリテラシーだと私は思う。

「スマホがあるからTwitterでなんでもかんでも言っちゃう、個人情報の写っている写真も載せちゃう」という今この時代だけど、誰に見られているか分からないんだもの。これは自分もつねづね意識しなければと思っています。一昔前はネットで個人的な情報を残すことに対してもっとみんな慎重だった気がする。

「Twitterは情報収集のみ」と割り切ってほぼ見る専門にしたっていいし、絵をアップしたりつぶやいたりしたいなら非公開(鍵アカウント)にして、フォローフォロワーはお仲間だけにしてしまうのもいい。自分の心がザワッとしない使い方でいいと思うんです。

※「本当はバンバンつぶやいたり絵をアップしたいのに、恥ずかしくて人目が気になりすぎてできない」というケースについてはこちらに書いています。

まわりにイライラしてしまう・ジャンルに嫌いな人がいる

一定のコミュニティの中にいると「嫌な人がいる・イライラする人がいる」ということもある。

これはSNSに限らず、学校でも職場でもご近所付き合いでも同じだと思う。

ただ、例えば職場に嫌な上司がいても職場を出れば関係ないし、その嫌な要素が暮らしの中まで深く入り込んでくることはない。

けど常にTwitterを見ている人の場合、朝から晩までその嫌な人と張り付いていることになってしまう。リアルの人間関係よりよっぽど顔を合わせるし、暮らしの中に根付いてしまう。

SNSで嫌いな人ができると、そこがしんどいんだと思う。

「苦手な人との距離感がつかめないから、Twitter向いてない……」のパターン。

それを防ぐために自分がやった対策で有効だったのは、

  • 複数のアカウントをつくり、居場所を分散させる
  • たくさんの人をフォローして、一人一人とじっくり関わらない

※複数アカウントを作るなら、サーフィン用アカウントと手芸用アカウントくらい振り幅を持たせる。創作ジャンルで分けるとかだと結局は似たような雰囲気になるので。

SNSを自分の聖域みたいにしてしまうとなにかとしんどく「あーTwitter向いてない」となりがちなので、もっとSNSを雑にするといいのでは。ということをこの記事に詳しく書きました。

あとは、単に嫌いとかいうより、なんか邪悪なイライラ・嫉妬のような嫉妬でないようなモヤモヤを抱いてしまうという場合。

気をつけたいのは「人を嫌うなんて・人にイライラするなんて自分は心が狭いダメなやつ……Twitter向いてない、むしろ人間に向いてない」みたいにこれまた極端な結論を出さないことだと思う。

「私はこういうタイプの人を見るといつもイライラしちゃうけど、なぜだろう? なにか私の心に隠された理由があるのかも」と分析してみる。「心の奥に閉じ込めてたけど、本当は自分はこうしてみたかったのか」ということが見えてくるきっかけにもなる。

リムーブやエアリプが気になりすぎてしまう

「フォロワーの数を気にするような人はTwitter向いてない」みたいな言葉もよく見かける。

これは自分も前そうだったんだけど、フォロワーが減るとやたら気になって何日も引きずってしまっていた。「嫌われたのかな、嫌な気持ちにさせたのかな」と思って心がザワッとしてしまっていた。

今はそれほぼ解決したんですけど、どうやったかというと、私の場合は何年も『人事ったー』(※現在はサービス終了しています)でフォロワーの増減を逐一、心ゆくまで、じっとりねっとり追跡してチェックしていたんです。

ある程度チェックしていると「リムーブされても、別に私のことが特別嫌いになったからとかじゃないんだな」ということが分かってくる。

私をリムーブした相手を追跡したら別ジャンルに移ってたとか、フォローを一桁くらいまで減らして鍵アカウントにしてたとか、凍結されてたとか。

他にはもちろん、何かしらの地雷や決定的な思想の違い(きのこ派かたけのこ派か、みたいな)があった場合もあると思うけど、それはもう仕方ない。

「リムーブされた! きっと私のことが嫌いになったんだ!」というのも、なかなかの自意識過剰だったんだと思う。そこまで向こうも考えてない。人はそもそも、そんなに他人に興味がない。

『人事ったー』サービス終了を機に、チェックをやめた。

今も【SocialDog 】や【えごったー】などのTwitter管理サービスがあるので、いちどガッツリ気にしてじっくりねっとりチェックしてみると気が済むかもしれません。(【Socialdog】はツイートの解析もしてくれるので、アクティビティの記録を残すのにも使えます。)

エアリプも前はすごく気になってしまっていたんだけど、「直接言われたこと以外は受け取らない」と決めた。

できれば気にしないようにする……とかではなく"受け取らないと決める"。

あと心身の調子が悪いときや夜は過剰に気になってしまうので、だいたいそのせい。

何か言われたとして、それは相手の問題なので受け取らない。たいてい相手が勝手に嫉妬して、ひとり相撲をしているだけ。ご本人様登場してあげる必要はない。お釈迦様も「悪口は受け取らなければ言った人間に返ります」と言っているし。

社会的な情勢がしんどい

今は特に「社会問題がのしかかってくるようでしんどい。流れてくるニュースを見ていると気が重くなる。こんなんじゃTwitter向いてないのかな……」というの、あるかもしれない。

これは私もやってるんですが、トレンドを日本以外の国にするのはおすすめです。

トレンド画面(キーワード検索画面)の……

右上の歯車から、

位置情報を変更する。

こうすると別の国のトレンドが表示される。(どの国でもいいけどいちばん上にあったからアイスランド)日本国内のゴシップや診断メーカーの単語とかも目にしなくて済むので快適。

あとは、

  • ワードミュート機能を使う
  • 社会問題をRTする人のRTを非表示にする
  • 社会問題のことばっかりずーっと言ってる人をミュートする・リムーブする

意識して楽しいことを発信し続けている人もたくさんいる。いくらでも楽しいTLにできる。自分のTLは自分で作れる。

なのになぜTwitterを続けたいのか

「Twitterしんどいな、やめたいな、と思うけど続けてしまっている……。自分なりにいろいろ考えてるよこれでも。でもやっぱりしんどいんだよなあ……」となって、なぜ自分はそこまでしてTwitterを続けているのかを考えてみたこともある。

そうまでして続けてるからには、Twitterには自分の望む何かがあるんだろうから。

「人にイラストを見てもらえる場を手放したくない」

絵描きにとってTwitterはイラストを見てもらえるもっとも手軽な場所。

フォロワーさんもそこそこ増えてきて一定量のいいねもつき、話しかけてもらったりするようになると「この場所を手放したくない」と思ってしまう。

イラストを見てほしい、リプもらえると嬉しい、でもリプに返信するの気を遣うしめんどくさい、いいねが少ないとそれはそれでしんどい、飽きられてしまっていないか不安、絵に関係ないつぶやきをしてフォロー外されたらどうしようと考えて気軽につぶやけない……。

それでもせっかく築き上げた場所を手放したくない! 八方塞がりだー!

みたいな場合、まずは優先順位を決めるようにした。

自分が何をいちばん望んでいるのか。どれを取ってどれを捨てるか。

「絵を通じてフォロワーさんとおしゃべりしたい」の場合

「絵を通してフォロワーさんと絡みたい。そのためにTwitterをやりたい。でもコミュ障なんだよなー」というなら、上に挙げたような雑談のコツを学んだりして自分の負担を減らし、慣れるしかない。最初はうまくいかなくても、「フォロワーさんと雑談を楽しみたい」という強い目的があるならやるしかない。というか、しんどくても心が喜ぶからついやっちゃうと思う。

でもそれが真に「フォロワーさんと雑談を楽しみたい!」という望みではなくて「人並みに雑談できる自分になりたい」とか「ぼっちは恥ずかしいから雑談してなじんでいる感じの自分になりたい」みたいなのが本当の望みだとしたら、雑談しても心は喜ばないからしんどさしか感じないと思う。

「あー、私はぼっちが恥ずかしくて、人並みに雑談できてジャンルになじんでいる自分になりたいだけなんだな、結局は」みたいに自分は以前気づいたことがあったので、無理に、いわゆる"絡んでいく"みたいなのはやめました。

「とにかく絵を見てほしい、リアクションは二の次」の場合

リアクションを期待しているというよりは、Twitterは絵を見てもらえる貴重な場だから失くしたくないんだ……というなら、Twitter以外に絵を発表できる場所を作ってみることもできる。

  • オンラインを含む教室や講座を受講する
  • グループ展を定期的に開く
  • コンテストに出す
  • 雑誌に投稿する
  • 同人誌(イラスト本)を作ってオンラインイベントや通販で販売する

少し前まで絵を描く人々が当たり前に持っていた場所たちだけど、SNSが発達した今では忘れられがちなんじゃないだろうか。

他にもイラストを発表する場があれば、Twitterに固執する必要はなくなるし、そしたらTwitterをやめてもいいし、告知用のツールとして使い方を変えることもできる。

「ジャンルから取り残された気がして焦るから」

ジャンルから取り残された気がして焦る……というなら、

  • 情報収集用とか仲良い人だけのアカウントを別に作る
  • 情報やつながっていたい人をリストで管理する

などして、追いたい情報だけを淡々と追う使い方もできる。

自分もアカウントが複数あるけど、TLを見ているのは二次創作の鍵アカウントひとつだけ。それ以外は随時リストを作って、欲しい情報を欲しいときだけ見るようにしている。自分のリスト機能の使い方はこんな感じ。

推しの舞台が発表されたらキャストとスタッフと劇場などのリストを作ってホームにセット、スライドしていつでも見られるようにしておく、舞台が無事千穐楽を迎えたらリストも解散。

このかたのつぶやきやイラストが好きだから逃さず追いたいな、という人だけを『オアシス』と名付けたリストに集めて、TL追うのがめんどくさいときやいらんこと見たくないときにそっと覗いて癒される。文字通りオアシス。

取り残されるっていうけども、次から次へと新しいものが到着する回転の速い世の中なので、一つや二つ何かを見逃してもどうってことないよな……と最近は思えてきた。

みんなといつも一緒に群れてべったりと同じことをする時代でもなくなってきたし。

「Twitterやめちゃうとさびしいから」

Twitterはうっとうしいけど、やめるとなんかさびしい?

さびしいのは、Twitterしててもしてなくてもコミュ力があろうがなかろうが生きとし生けるものみんなさびしいと思うそれは。たぶん。

「さびしさ」というコンテンツだと思って楽しむ。そしてそれをクリエイティブに変換し、作品に活かしていく。

絵描きにできるって言えばそれくらいだし、それこそが絵描きのサガとも言える。

本当はどんなTwitterライフを送りたいのか

自分がどうしたいのか決めかねている場合、そんなに迷うくらいなら無理にTwitterやめなくていいと思う。

「Twitterをやめたい理由/やめたくない理由」

「Twitterで何をしたいか/何をしたくないか」

と紙に書き出してみるというのを私はよくやります。

特に「何をしたくないか、何が嫌なのか」を絞って、「じゃあそれはやめよう」「それはしないことにしよう」と削っていく。

これはTwitterに限らず、どんなツールもそうだろうし。

「グループ展の開催が難しくなり、制作の励みがなくなってしまった。だからTwitter上でバーチャルな展示会をしていきたい。Twitterは展示とお問い合わせ窓口として使う。雑談は苦手でしたくないから、交流には使わない。」

「大好きな絵描きさんがいる。これからもこの人の絵を見たいし、感想を伝え続けたい。そのためにTwitterを使っていこう。社会問題を議論するために使いたいわけじゃないし楽しくないものを目にするのは嫌だから、ミュートやリストを使って極力目に入れないようにする。」

「Twitterでは仲のいいフォロワーさんとだけゆるくつながっていたい。なんでもないひとりごとやたまに絵をアップしたりして、ホッとする場にしたい。そりゃイラストがバズったりするのも憧れるけど、自分にとって最優先事項は"安心・安全"。だからバズりは諦めて鍵アカウントにしよう。」

「手間もお金もかけたくないし大作を仕上げたくもない、気が向いたらささっと落書きを書いてTwitterにアップして、いいねをいっぱいもらってチヤホヤされたいな。」

(最後のはちょっと誰でもできるってわけではないので難しいけど、別にそういう目的でもかまわない。ただチヤホヤしてもらえるかどうかはわかりません)

自分はTwitterで何をコミュニケーション(伝達)したいのか。

伝達したいものがない場合、何を受け取りたいのか。

何も伝達したいものがない、特に受け取りたい情報もない、というなら現時点においてTwitterをやる意味がない、それこそが「(現時点では)Twitterに向いていない人」なのだろう。

「今は気力なくなっちゃってるけど、何か伝えたいはずなんだよな……」ならばきっとTwitterをやる意味は十分あるんだし。自分はそんなふうに思って、ペースを変えたり距離感を変えたりといろいろ試しながら続けている。

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