二次創作がつらい、しんどい、楽しくない、向いてない……
と悩んでいる人向け【原因は何なのか?①絵が下手で見てもらえない②交流が苦手でぼっち③上手い人やいいねが多い人に対して嫉妬でモヤモヤ④中傷されて怖くなった⑤無断転載されるのがイヤ……原因を突き止めれば、状況を変える糸口になるのではないだろうか。】という記事。
自分は20年以上二次創作をしていて、いろいろなパターンの「しんどい」を経験したことがある。もちろん今でも、「しんどい」「きつい」はゼロではない。
- 絵がうまく描けない
- 絵を見てもらえない、いいねがつかない
- まわりはみんな楽しそうに交流してるのに自分だけ孤独
- ジャンル内に気の合わない人・嫌いな大手がいる
- ジャンル民のマナーが悪くて、迷惑をこうむることが多い
- 前ほどネタが思いつかない・沼を抜けてしまった……
それぞれについて「自分の場合は、こうしてみたらちょっとよかった」というのを思い出してみた。
絵が上手く描けなくて二次創作がつらい←本当にそうなのか?
「絵が下手だから二次創作がつらい」というのは果たして本当にそうなのか。
絵が上手くなりさえすればすべて解決で二次創作はもっと楽しくなるのかというと、そうとも思えない。
ブレインダンプ(考えていることをすべて書き出す頭の整理法)を試してみたら、「絵が上手くなりたい」のもっと奥に本当の望みがある気がしてきた。
- (絵が上手くなって)もっとたくさんの人に見てもらいたい
- (絵が上手くなって)もっと評価されたい
- (絵が上手くなって)もっと絵が上手い人たちと交流したい
- (絵が上手くなって)もっとジャンルの流れについていきたい
- (絵が上手くなって)もっとなんか満たされたい
こうして眺めてみると、直接絵の巧拙と関係ないことも多い。
それを「絵が上手くなりさえすれば全て解決するのに、私は絵が上手くならない。全て詰んだ。」と考えてしまって、勝手にゲームオーバーにしていただけの話だった。
「もっとたくさんの人に見てもらいたい」
Twitterには【ツイートアクティビティ】という簡易な解析がついていて、インプレッション(そのツイートが見られた総数)とかエンゲージメント(画像をクリックされた回数)など、簡単なことが分かるようになっている。
これをチェックしていると、結局はインプレッションが多ければいいねも多い。いいねが少ないときはインプレッションも少ない。みたいな、ある程度は単純な話であることが分かった。
ようするに「いいねが少ないのはインプレッションが少ないから」なので、まずはたくさんの人の目に触れるような工夫をする、という具体的な行動ができる。
- ジャンルのマナーに沿ったタグなどをつける
- pixivなど他の創作系SNSにも投稿する
- 人の多い時間帯に投稿する
- 見逃した人用にセルフRTをする
- 目を惹くサムネなどを工夫する
「もっと評価されたい」
「評価されたい」というのもよく聞くしつい自分も言いがちだけど、「Twitterで二次創作を評価される」っていったいなんなんだと考えてみると、訳がわからなくなった。
要するにいいねが欲しいのか?
専門家でもなんでもない人から「評価」が欲しいのか?
二次創作ってそもそも「自分の感じたことを形にしたい」と思ってしていることなのに、それにたくさんの人の「同意」が欲しいのか?
「うるさいうるさい! そういう理屈じゃなくてとにかく反応や評価を渇望してしまうんだよ!」というのも自分はとても分かる。自分の場合、それは二次創作とか絵を描くとか以前の問題で、根っこは別にあった。
あくまでも自分の場合だけど、そもそもちゃんと生きていなかったために承認欲求がこじれていた部分があったので、まず人間として生きることやふだんの社会生活を見直してみたらラクになった。
「もっと上手い人たちと交流したい」
絵が上手い人たちが交流しているのを見ると「ああ羨ましい、この輪に入っていけないのは私の絵が下手だからだ……くそっ私も絵さえもっと上手ければ……」みたいに思ってしまっていた時期があった。
今思うと、「どうせ私は絵が下手だからしょうがない。どうせ、どうせ」と思考停止していただけのような気がする。
そもそも、「絵が上手い人と交流するために、もっと絵が上手くなりたい」って、文章にしてみると我ながら混乱しているように思える。
「もっとジャンルの流れについていきたい」
絵を描くのが遅くて取り残されてポツンとしてしまう……モチベーションも落ちる……というのがあった。
これはたくさん描いて描き慣れることで、ある程度SNSのスピードに順応することはできてきた。
また、ていねいさや質よりもネタの新鮮さや勢いを重視して創作したり、ときには途中経過を投稿することもある。
「もっとなんか満たされたい」
そこそこフォロワーもいるしそこそこいいねはつくけど、反応も薄いしあんまりモチベーション上がらないな……みたいな、他の人に言ったら「何それゼイタク!」と言われそうな悩みで一人でモヤモヤしている人もいると思う。
自分の場合はだけど、「pixivで好きな絵描きさんを見つけて、この人のふだんのつぶやきやラクガキも見たい! と思ったらTwitterもフォローする(逆もしかり。鍵アカウントにしていて、pixiv経由でフォローしてもらう)」という感じにしていくことで、心地いいつながりになった気がしている。
「絵描きさんとつながりたい」「○○好きさんとつながりたい」みたいなハッシュタグで取り合えず数だけ増やすことはできるけど、それだとどうしてもお互いに対する興味が薄い。お互いに打算があるというか(少なくとも自分は打算が絡んでしまう)、最初だけ義理でいいね&RTしあって、そのうちきゅうくつになってきて……みたいなことばかりだった。
最初から「この人の絵、好きだなー!」と強い興味をいだきあってつながることのほうが、自分にとっては幸福度が高かった。これは人によると思うので、あくまでも"自分は"そうだったという話。
人間関係に疲れて二次創作がつらい
「大手の解釈が正解化していて居心地が悪い」
ジャンルの大手(目立つ書き手・描き手)が自分の解釈とドンピシャだったら幸せだけど、当然そうでないこともあり。大手の解釈が正解みたいになってしまって、大手ばっかりチヤホヤされて、ジャンルにいづらいなと感じた経験がある。
どこのジャンルでもそういうことはあり苦しみを繰り返してきたのだけど、20年以上同人をやってきてやっと最近「影響されずに自分の描きたいものを描いていれば、分かってくれる人も必ずいる」という実感を得ている。
自分にとっては「描きたいものと向き合って、一人遊びをする」のが絵を描く楽しさだから、そこに立ち返ってみた感じ。
「嫌いな人がいてめんどくさい」
人間どうしだから合う合わないは必ずある。リアル社会でも苦しんでるのに趣味のSNSでまで悩みたくない!
かと言ってごく親しい人だけにフォローを絞ると、そこでまた合わなくて気になる人って絶対出てくる。「複数の魚を狭い水槽に入れておくと絶対にケンカが起こる」って、さかなクンさんもおっしゃっていた。
だから逆にフォローを増やして水槽を広げたらよかったという話。
「自分より下手な人がいいねをたくさんもらっててイライラする」
「同じジャンルの中でせいぜい同レベルくらいの絵の人が、自分よりたくさんいいねをもらってる……なんで!? イライラして毎回いいねの数比べちゃう。比べたくないのに気になっちゃう!」
自分自身、飽き飽きするほどそれを繰り返してきた。
けれど今となればすべて「なんだ、単純に自分の方が下手だったんだ……」ということだった。(私の場合はそうだった。)
自分のことって正確には分からないので、つい過大評価してしまっていることもある。「なーんだ、もともと私はたいしたことなかったんだ!」と、自分はそこにやっと気づいて、たいへんラクになった。
「勘違い絵描きがいてイライラする」
「下手なくせになんでアンソロ参加しようと思ったの???」「なんで下手なくせに神絵師にリプできんの????」みたいに腹が立っちゃう相手が自分にもいた。
下手なくせに神絵師にリプしたりアンソロに参加したりする相手こそが絶対的に間違っていて、それをしたくても我慢している自分の方が正しいとずっと思っていた。
けどこれ、突き詰めれば結局は自分の中の問題だったので、自分で整理をつけることができた。人のせいじゃなかった。
「交流が苦手・交流ができなくて孤独でつらい」
「突然リプ失礼します! あなた様の絵が好きです! これからも頑張ってください! FF外から失礼しました!」」とか「落ち込んでるの? 話聞くよ? 大丈夫?(悲しい絵文字) 気圧とかあるからそのせいかも〜(悲しい絵文字)あったかくして休んで、明日はきっと晴れるよ!」みたいなリプを送ることが交流だとしたら、自分もそれは苦手だと思う。
自分はTwitterの「いいね」だけでつながれるところが好きだったのだ。
他の人のツイートに心を動かされたら渾身の「いいね」をする。
「いいね」をされると見てもらえた・分かってもらえた気がして心がほんわかする。
自分にとってTwitterの交流ってそういうもの。
あと「Twitterで孤独……」「二次創作してても孤独……」って以前は思っていたけど、人はみな孤独だし、Twitterでリプしあってキャッキャしている人たちも孤独を感じていないわけじゃないと思うんだよな……。
ジャンルのマナーが悪くて二次創作がつらい
「批判や誹謗中傷をされて怖くなった」
何かの拍子でイヤな言葉を投げかけられて、怖くなってしまうことってある。自分は創作活動を全部内輪でやっているのであまり無いのだけど、このブログにはたまにある。
そういうとき自分はどうするかというと、
自分に非がないことならスルー、自分に非があることなら直す。
それだけ。ただし、何かのときに証拠にしようと思って記録はすべて残している。
特にマシュマロで何かイヤなことを言われた場合、記録は残してきっちり運営会社に報告もしつつ、「届いてない・読んでないフリ」が最善かなと考えている。マシュマロ公式も「マシュマロのAIのせいにして、届いていないフリをするのが有効です」というようなことを言っていたと思う。
イヤなことを言ってくる人って、こっちがダメージを負ったりショックを受ける姿を見たがっているので。
自分の攻撃が相手に届いて反応してくれることを期待している。
「痛み」でこっちをコントロールしたがっている。
当然ながら私の中にも同じ攻撃性があり、ムシャクシャしたりすると他人に対して出したくなるときもある。しかし「いい年こいてそれはさすがにみっともない」というなけなしの誇りと「ネットは匿名じゃないぞ、こうすれば簡単に開示されてしまうぞ」という知識によってブレーキがかかる。誇りあるいは知識に不足がある人の場合、このブレーキが機能せずやらかしちゃうんだろうなと思っている。
「無断転載・自作発言をされていやになっちゃった」
SNSには日々初心者マークのユーザーが増えているわけだから、無断転載はゼロにはならないと思う。どういう策を講じたって通じない相手はいる。
Googleで「○○(キャラ名)」で検索して出てきた画像を「拾って」使う人も多いし、絵を描いたことがない人は「この絵を描いた人がいる」ということにも考えが及ばない。
他人の作品をアイコンに無断使用している人に注意すると「私が検索して見つけた画像ですよ? 無断転載ではありません、言いがかりはやめてください!」とキレる人もいる。
デジタル絵には作者がいないと思っている人もいる。(デジタル絵はネットの海で自動生成されるとでも思っているのか……?)
もうわけがわからない。こんなの、そりゃあ疲れてしまう。
とりあえず自分ができることとして、
- 転載は禁止、とプロフィールなどにはっきり書いておく
- イラストにサイン(+転載禁止の旨を入れている人もいる)
転載禁止と書いておけば「知らなかったから無断転載しちゃった」というケース(これはけっこう多い)は減らせるし、サインを入れておくことで見かけた人が教えてくれたり、通報に協力してくれたりする。またSNSなどの運営に対しても「自分が描いたものを他人が転載している」という証拠になる。
また、転載されにくいSNSやサービス(ピクブラ、ポイピクなど)を併用するということもできる。GoogleにインデックスされないSNSなら、転載されるリスクも少しだけ減るかもしれない。
どうやらジャンルの沼を抜けてしまって二次創作がつらい
同じジャンルには一応いるけど、ネタが浮かばなくなってきた……。描こうと思ってもその気が起こらなくてつらい……というのも、長く同人をやってきた中で経験がある。
いわゆる"沼を抜けてしまった"というような状態だと思うのだけど、そういうときのことについても自分なりに考えてみた。
やたらめったら試してみるといいかもしれない
自分が変わるためのきっかけなんか、待ってても来なかった
この記事を読んで「悩みがスッキリ解決した!」なんてことはないと思う。人それぞれだし、タイミングもあるし、自分の悩みに整理をつけて割り切るのは自分だから。
でも、いろいろ軽率にホイホイためしてみるといいような気がする。じっとしてても変わらないけど、ホイホイためせば何かきっかけがあるかもしれないし。
「きっかけがないから変われない」とかつい思っちゃうけど、そんなでっかくて分かりやすいきっかけなんかそうそう自分の人生にはやってこなかったし、大きく事態が変わるときってたいてい軽率なホイホイのバタフライエフェクトだったりした。
みんなそれぞれ自分のレベルで悩んでいるんだなあ
自分はこのブログを始めたことでいろいろな人の声を聞き、「こんなに上手い人でも悩むのか……!!」と驚くことも多い。
ジャンルでそこそこ上手い人が「もっとたくさん見てもらいたいのに見てもらえなくて落ち込んでしまう」と深刻に悩んでいた。Twitterでは愚痴や泣き言も言わずいつもどおりに振る舞っているので、彼女が悩んでるなんてことは他のフォロワーには全然分からないと思う。
みんな、自分の今いるレベルでそれぞれの悩みを抱えているんだなと感じる。
「このレベルまで絵が上手くなったらすべて悩み解決!」「フォロワーが○人行ったら私は完全に満ち足ります!」なんてことではないし、結局は「どうなったら自分が心地いいか」をそれぞれはっきりさせ、そのように整えていくしかないんだなと。
「人と比べるのは意味ない」を自分なりに噛み砕いて表現してみた
「フォロワー10000もいていいねが2万もついてる人見た……いいなあいいなあ、私なんかフォロワー1000だしいいねは500止まり……底辺絵描きつらい……」
と言ってる人を見て、
「それで悩むとかゼイタク! 私なんかフォロワー200しかいないしいいねは10……私こそが底辺絵描きだよ!」
さらにそれを見て、
「全然いいじゃん! 私なんかフォロワー50だしいいねなんか1や2だよ! 私こそが最底辺だね!」
こんなことをやり出したら、ゼロになるまで終わらないマトリョーシカになってしまう。
「人と比べるのなんて意味ない」というのを自分なりに表現してみると、
たとえばドラクエ6をやってて「えー、いいなーあの人もうダーマ神殿復活してるんだ、きっとレベルも高いんだろうな……私なんかまだサンマリーノについたばっかりでレベル10だよ……はあ……全然だめだよね……私には才能がないから」とはならない。そんなこと言ってる人がもしいたら「何言ってんだアホか」ということになる。
自分より先にダーマ神殿が復活している人に何か思うことがあるとしたら、
「おっ、あの人早いな、きっとどうにかして時間を捻出して、ゲームを進めているんだろう」
「ダーマ神殿復活後の世界おもしろそう! ゲーム進めるの楽しみになってきた!」
「自分は取りこぼしがないように慎重プレイ派だから、ネタバレを見ないようにじっくり進めるぞ」
せいぜいこんな感じ。
なのになぜか「レベル25の人とレベル10の私が戦っても勝てっこないよね……ああ私はセンスも才能もない」みたいなことを言い出してしまい、楽しくなくなる。
そもそも人それぞれ違う世界線でプレイしていて、絵が上手くていいなあと思うあの人はあの人の世界で戦っており、自分も自分の世界で戦っており、なので比べる意味がない。
自分の世界で地道にレベル上げもしつつ、あれこれホイホイ軽率に楽しくやってみるしかないんだと思っている。